国際教養大学 モンテ・カセム学長インタビュー

3. 高等教育は「負担」ではなく「先行投資」である

カセム:
ソクラテスやプラトン、あるいは孔子や孟子の時代から変わらない対話型教育、少人数教育は、どうしても手厚いリソースが必要です。しかし、日本の高等教育政策にはそのコストへの理解がまだ十分ではありません。

アメリカのリベラルアーツ・カレッジでは、年間学費が1,000万円近くに達することも珍しくありませんが、大学運営費の財源はおよそ「学費3割、寄付・運用益3割、国庫補助3割」というバランスで成り立っています。私立大学であっても公的な補助が約3割入るのです。翻って日本は、私学助成を含めても公費負担割合は極めて低く、高等教育への公的支出はOECD諸国でも最下位レベルです。

日本には江戸時代の藩校以来、「高等教育は民間が身銭を切るもの」という発想が根強く、公的資金による投資対象として扱ってこなかった側面があります。教育にかかる費用を「負担」と捉えているのです。そうではなく、「社会の担い手を育てるための先行投資」と見なさなければなりません。

ドイツには、マックス・プランク研究所やフラウンホーファー研究機構、フンボルト財団(アレクサンダー・フォン・フンボルト財団)といった半官半民の強固な基盤があり、若手研究者に長期的な投資を行う仕組みがあります。そうなれば、ノーベル賞級の成果も自ずと生まれてくるものです。日本では、研究者を信用せず、江戸時代の「五人組制度」のように監視と是正ばかりを求め、予算を細かく削り、短期的な成果ばかりを求める悪弊がいまだに残っています。これでは世界を牽引する知性は育ちません。


カセム:
私はかつて、日米豪印=クアッド(QUAD:日米豪印4か国戦略対話)の優秀な若者を交流させる奨学金プログラムの面接官を務めました。そこで選ばれる、日本からアメリカのトップ大学院などに進む学生たちは本当に優秀です。ところが、彼らの多くは日本に戻ってきません。でも、彼らを責めることはできないでしょう。日本側に、知を還流させ、彼らが存分に腕を振るえる「器」と「環境」が整っていないからです。

また、日本の高等教育が抱える構造的な歪みは、大学の設置形態(国立・公立・私立)を縦割りのまま固定化して議論している点にもあります。持論を言えば、大手私立大学と地方国立大学を同一法人の中に統合し、浮いた補助金を同じように旧帝大と国立研究機構、大学共同利用機関法人などに重点配分して予算規模を拡充するような、大胆な再編があってもいいと思います。

一方、公立大学の場合、ガバナンスの難しさが際立ちます。文科省だけでなく総務省が関わり、設置者である自治体の首長部局、さらには地方議会と、いわば「4人の母親」が存在する状態です。それぞれへの説明責任やコンプライアンス、評価に膨大な時間を奪われ、肝心の学問や大胆な教育投資にブレーキがかかってしまうのが現状です。こうした状況を打開するため、AIUでも今年度、機動的な意思決定ができるようガバナンス改革を行いました。しかし、本質的な解決のためには、大学という知の拠点を社会がもっと信頼し、その自律性を尊重して投資する文化を根付かせることが不可欠です。


関連記事一覧