
東京女子大学・太田 邦史 学長インタビュー
5.リーダーほど教養がいる ―古典、宗教と科学
東京女子大学は、「キリスト教の精神をもって人格形成の基礎とし、リベラルアーツを柱とする女子高等教育を行う」という建学の精神のもと、「私立東京女子大学」として創立された。「犠牲と奉仕」の精神を大切にするなど、教養人が備えるべき人格教育の一環として宗教を位置付けている。
ーー 社会人向けのリベラルアーツ講座が流行っています。これは、やはり大学でちゃんと学んでおけばよかったと、大人になってから気がつく人が多いこと、つまり「後悔先に立たず」で、学びを取り戻したいという需要があることの一つの証拠かもしれませんね。
太田:たとえば東大でも、三井不動産と組んで東京大学八重洲アカデミックコモンズでリカレント講義を開講しています。三井不動産の方の話では、経営者・管理職になると、歴史や哲学などへの関心が高いようで、人文社会科学をもう一度学び直したいというニーズも極めて高いようです。
経営者やリーダーは、孤独なんですよね。データがあることやデータを分析することと、自ら価値判断をくだすことは全く別ですから。誰かに聞いてどうにかできる問題というのは悩む必要もない。自分なりに知識と過去の経験だけを頼りに「決断」をしなければいけない。そういった時こそ、歴史や哲学に代表される人文学が大事になってくる。トップに立つ人ほどリベラルアーツが重要だという認識をお持ちなんです。その時では「もう遅い」とは言えませんが、早く気づいておく方が良いに決まっています。
ーー 富士ゼロックスの元社長・小林陽太郎氏(故人)が立ち上げた「日本アスペン研究所」という団体があります。小林氏は、シカゴ大学発のリベラルアーツ教育である「グレートブックス・プログラム」をビジネスエリート、グローバルリーダーのために日本に取り入れ、ギリシャ悲劇やプラトンに始まる古今東西の「古典」(クラシックス)を読むセミナーをはじめ、現在もそのプログラムは続いています。やはり、リーダーほどリベラルアーツの学びを必要としていることを示す例だと思います。
大学生などの若い人に、「古典を読みなさい」と言ってもなかなか関心を示すのは難しいと思いますが、グレートブックスのような、必修教養あるいは必読書のリスト、そういったもののラインナップ、いわゆる「カノン」を大学が提示することも重要な気がしています。
太田:そのようなもので、すぐに思いつくのは『聖書』ですね。信仰のあるなしに関わらず、聖書を読むことは大いに役立ちます。というのは、特に『旧約聖書』に顕著ですが、大昔からの人間のドロドロした部分に関する話が書いてある。「こういう妬みや嫉みがある」とか、「こういう時にはひどい仕打ちにあう」とか。聖なるものの話だけではなく、人間的な、負の部分も含めた話の連続です。聖書を読んでいると、神秘的な意味ではなく、西洋世界の仕組みがわかり、世界情勢が読めるようになります。
ーー 『聖書』の話題が出たのでお聞きしますと、生物学とキリスト教は、伝統的にあまり折り合いが良くありません。進化論がありますので。進化論を生命科学に含めるかどうかということは別として、生命科学を専門とするサイエンティストであることと、クリスチャンであることは、太田学長の中でどのように統合されているのでしょうか。
そして、そういう太田学長がキリスト教系のリベラルアーツカレッジに学長として赴任された意義は、ご自身でどのように感じておられますか。
太田:私がそういう分野の研究者になったのも導きなのです。私が博士課程を出たとき、もともと生物進化や、DNAの再編成についての研究をやるつもりはなかったのです。大学のポストに就く前に理化学研究所に勤務したのですが、そこでのテーマが生命の継承と多様化の分子メカニズムでした。祈りの中で「この分野でやるという道は示されたが、大丈夫なのか」と問いましたが、その道に進めと示されました。現在では両立について問題ないと考えています。
ーー 先生が学長になられるというニュースを聞いてご経歴を拝見した際、最初に私が「これはすごいぞ」と思ったところは、実はそこなんです。今、世界は分断が激しくなっています。アメリカのトランプ大統領は、そういう分断をうまく利用しているところはあると思うのですが、それに乗ってしまっている人たちもいる。そうではなく、太田学長のように、サイエンスとキリスト教の考え方が研究と学びの場において調和できると。このようなメッセージを自らのご経歴でもって示すことができるというのは、ちょっと大げさな言い方ですが、世界平和にも繋がっていくような気がします。
太田:さすがに、そこまで行けるかどうかはわかりませんが(笑)。でも、遠藤周作も書いてますよね、踏み絵を踏んでも「許される」と。あのような小説(遠藤周作『沈黙』)を書くことで読者に伝えたいメッセージと共通するものがあると思います。宗教も科学も、壁を作り、他者を排除するのではなく、もっとおおらかで、寛容なものなのではないでしょうか。キリスト教の本質も、そのようなおおらかさにあると思います。愛による許しが本質です。
ーー 前任の森本あんり先生のご著書『反知性主義』にもある通り、知性(知性主義)と宗教は対立することもあります。知の拠点でもある大学は、この問題に真正面から答えることが求められているように思われます。
太田:その問題は、決して妥協とかそういう次元のものではなく、宗教とは本来そういうものなのではないでしょうか。多くの学生は、ノン・クリスチャンですが、「人間を大切に考える」とか、「愛の精神」とか、そのような考えが、人格形成において活かされればよいのだと考えています。本学は、「犠牲と奉仕」という精神を大切にしています。自分のためではなく、人のためにサービス(奉仕)を行なうという自己犠牲的な精神は、今の日本に減ってきてると思われますが、そのような理念を実現できる人を一人でも多く輩出できるようにするのが、本学のキリスト教的なミッションだと考えています。
過激な極端に走らず、冷静に考えることができるようになるのが重要なのです。自分で考えて人に流されないで行くっていうことがとても大事なんだと思いますね。そのためには、やはり一人ひとりの教養です。「リベラルアーツ」は人を「解放」(liberation)することでもあるのですから。人に支配されるのではなく、自分を桎梏(しっこく)から「解放」して、個としての自分を作る。そういった能力を開発することが大学の役割なのだと思います。
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