フェリス女学院大学 小檜山 ルイ学長インタビュー[後編]
「勇敢な女性」を育てることで社会も変わる―――女性中心の新しい学問体系の構築を目指して【独自記事】
私立大学が社会を構想しリードしていく
--大学も社会的な存在であると言えますが、社会の実情に合わせて大学のあり方をデザインしてしまうと、非常に窮屈になってしまいますね。例えば、政府が「データサイエンスをやれ」と言ったらデータサイエンスの学部を作り、「理系を増やせ」と言ったら理系学部を増やす。アメリカなんかは逆で、ハーバードやプリンストン、そういう大学が歴史的にも先にあって、そのあとに政府ができたわけで、「大学が国を作った」という自負があると思います。
小檜山:そうですね。アメリカでは私大のほうが評価が高く、州立は後発です。もちろん大学には財政基盤の問題もありますので、最近では、州立大学も有力なところがたくさん出てきていますけれども、どちらかというと私立大学がリーダーです。そして、彼らは自分たちでやりたい教育をやり、それを示していくのだという意気込みがありますよね。背景には、アメリカにある政府権力への根本的疑義があります。政府がお金を出して、政府が望む「人材」を作ることは、政府に支配されることにならないか、という問いがあります。
一方で、大学は社会のニーズをよく見ています。大学院も単線的な形で運営するのではなくて、学者・研究者を育てる目的と、企業社会に学生を出していくという目的を分けて設計する。スタンフォード大学では、目的別にコースが分かれていたりもします。社会に出て行く人は、国際的なアリーナで活躍できるような人を養成する。学者の仕事というのはまた特殊ですから、そちらの道に進む人は企業人とは分けて育成します。そういった工夫がアメリカはあると思います。社会の情勢に合わせて学生を惹きつけていくような、そういう機動力がありますよね。
--日本の場合は、文部行政の中でも、審議会でオーソライズされた素案が公式的な法案となって政策が決められていくプロセスがあると思うのですが、国策として大学が設立されてきたという歴史もあり、いまだ「お上意識」が残っているというか、大学の発信力が弱いような気がします。でも、これは変じゃないですか。2004年に国立大学が法人化する時は、自由にやりなさいということでなったはずですよね。
小檜山:アメリカと違いますね。国立大学は予算を握られています。政府が「理系が大事」というと、文系学部の予算はカットされ、人員が減らされます。文科省は国立大学は省のものだという捉え方です。政府の方針がいったん発表されると、認証評価もそうですし、学生の授業評価もそうですが、やらなくてはいけないペーパー作りに先生たちも事務局も追われます。私大でも、日本では政府補助金が少なからぬ財源になっていますから、状況は同じです。文科省がこう言っているから、こういうことをやらなくてはいけないというような。学生に何度も何度もアンケートをして、その回答率が何%以上でなくては補助金を貰えないとか、そういうことであくせくしているのです。
もうちょっと大学を自由にやらせても良いと思います。科研費も良いのですが、科研費を取ると使うための書類作りがたいへんです。お金の使い道が細かく決められ、政治資金と違って、領収書等の証票書類は細かく提出します。ルールは、「各研究機関が定める規程等に従って適切に行うものとする」とされていますが、監査が怖いので、どうしても細かく、厳しいルールが設定されているのが一般的です。一方、アメリカは自由度が高いです。私も、ロックフェラーとかフルブライトとか、研究資金を貰ったことがありますけれども、基本的に渡しきりです。「これだけあげるから、好きに使って」という形です。
--研究者を信用しているのですね。
小檜山:アメリカでは、信頼関係をもとにやっているんですね。日本では、最初から「飲み食いに使うんじゃないか」とか、疑ってかかっています。アメリカだと、必要ならそういうものに使っても良いということなのです。海外から人を招いた時などにお食事に連れていかないということはあり得ないので、これはこれで必要なのです。しかし、日本の科研費ではできないんです。たとえば、「1000円のお弁当まで」と言われて、はみ出した分は先生たちが自前で出しているわけです。そのような信頼関係の違いは強く感じますね。
--他方、近年は、経済・ビジネス寄りの発想で学校とか大学の在り方を考えることが非常に多くなったような気がするんですね。
小檜山:経済的に見合うかとか、そういうことですよね。
--いわゆるコスパですよね。
小檜山:コスパといっても、教育の効果は短期間じゃ測れません。何が長期的に資産になっていくかというのは計算できないわけですよね。大学の使命っていうのは、そういう何になっていくか分からないものに対して投資をしていくということですので、そういう発想が弱くなってしまったのは本当に嘆かわしいですよね。
--小檜山先生がまさにおっしゃる意味で、大学が強くなっていくことが、社会の閉塞感を変えるポイントじゃないかなと思っています。先生のような大学人のリーダーシップに期待をしているところです。
小檜山:これからなので、まだ分からないですけどね。
--先日インタビューをさせていただいた、東洋大学や甲南大学も、それぞれ女性の学長です。女性のリーダーがいらっしゃる大学は、ますます存在感を増し、発信力や社会的な影響力を強めているようにも感じます。世界経済フォーラムが発表している「ジェンダーギャップ指数」で日本は順位の下から数えた方が早いという話がよく出ます。アカデミアでも企業でも、女性のリーダーがもっと活躍して発信していくことが増えていかないと、今のような閉塞感やおかしな社会の状況はあまり変わっていかないような気がします。
小檜山:そうですね。男性の視点でやっていると今まで通りになってしまうことが多くて、私もいろいろと頑張っているところです。「従前通りの踏襲」というようなことに対して、文句つけるのは私の役目だと思っているのですが、なかなか変えるのは大変です。