
大学スポーツの「果実」を学生へ ── AI時代における「人間の成長」と大学の役割をめぐる対話篇 Ⅱ
日本の大学スポーツモデルの模索とエコシステム
UNIVAS会長 福原紀彦氏 × (聞き手)KEIHER Online 編集主幹 原田広幸
SECTION 4:大学スポーツの収益構造とNCAAモデル:日本における構造的課題とは
福原会長:大学スポーツというのは、本来、大学にとって大きな価値を生む領域のはずなんです。ところが日本の場合、その価値が大学に必ずしも十分に還元されていないという構造的な問題があります。
箱根駅伝を思い浮かべていただくとわかりやすいのですが、あの大会は関東学連、新聞社、テレビ局、スポンサー企業等々が、強い結びつきと協力関係を構築して成り立っています。その協働は大いに評価できますが、そこから生じる経済的価値──視聴率、広告価値、ブランド価値が生む“果実”が、必ずしも十分に大学側に還元されていないのではとの意見もあります。
大学スポーツの価値が大学の財政に還元され、環境整備に活かされることで、より良い教育環境が作られ、学生たちに再投資されていくことが望ましいのです。ところが、日本ではそこが必ずしも上手くつながっているとは言えません。
原田:アメリカの大学、それから NCAA は、どのようになっていますか。
福原会長:日本とはまったく違います。NCAA は、競技の運営、放映権収益、グッズ販売などのマーチャンダイズ、スポンサーシップ等々の領域を一元的に統括しており、そこで得られた収益は、しっかり大学側に還元される仕組みになっています。
大学はその収益を使って、巨大なスタジアムの建設やレーニング施設の充実、また、奨学金の拡充といった学生支援サービスに投資することができます。
私が訪れたアメリカの大学では、キャンパスの中にプロ並みのスタジアムやアリーナがあり、ナイキのような企業と共同開発した大学ロゴ入りのウェアが飛ぶように売れていました。その収益がまた大学に入るので、大学がどんどん強くなる“好循環”が生まれているのです。
原田:NCAA のような仕組みを見ると、収益が大学にもどる循環がしっかり構築されているのが分かります。日本では、競技連盟やメディア、スポンサーが中心となって収益を獲得していますが、学生や大学には成果がもっと還元される余地があるのですね。少子化時代にサステイナブルな大学スポーツマネジメントを確立しようとするなら、大学スポーツ全体のマネジメントと、経済的な面も含めたエコシステムの確立が急務というわけですね。
福原会長:まさにそこが核心です。
日本の大学スポーツは、歴史的に OB・OG や学生主体の自主運営で成り立ってきました。そこには「学生スポーツを守り育ててきた良い文化」がありますが、大学に収益が十分に戻らない仕組みが残っており、“日本の大学はスポーツに投資したくても投資できない”という状況に陥っているのは実にもったいないことです。これは誰のためにもなりません。
もちろん、突然 NCAA のような仕組みを日本へ丸ごと導入するのは現実的ではありません。日本は日本の歴史と文化の中で発展してきた経緯があります。しかし、「収益を大学側に還元する」、「大学が主体的に関与する」、「安全・ガバナンスを大学が担保する」という方向性は、今後どうしても避けて通れないテーマになると思います。
大学スポーツは、大学の教育的価値を高め、大学を元気にし、学生を成長させる「宝」です。その宝から生まれる価値を、各競技連盟とともに大学がもっともっと活用できる状況を創りたい──それが UNIVAS の重要な役割だと考えています。
SECTION 5:スポーツが育む非認知能力とAI時代の人間形成
原田:大学スポーツの財政面、管理面での課題と展望についてについてお話しいただきましたが、スポーツには教育としての側面もありますよね。大学スポーツの「教育的価値」については、どのように考えていらっしゃいますか。とくに、生成AIの急速な発展の影響等も含め教えて下さい。
福原会長:大学スポーツの教育的価値を語るうえで、私はいつも 「AI時代だからこそスポーツが必要だ」と強調したくなるんです。
例に挙げて下さった生成AIについて私見を述べると、AIは知識を整理し、瞬時に答えを出す能力については人間を遥かに凌駕しており、大学教育の在り方も変貌しつつあります。しかし、どんなにAIが発達しても、スポーツの教育上の役割は変わりません。いや、ますます果たすべき役割は大きくなると言ってもよいと思います。
スポーツの現場では、試合の状況を自分の目で判断し、自分の体で実行しなければなりません。瞬時の判断力、状況把握力、身体を使って実行する力、仲間との協働、精神的な粘り強さ──こういったものを、スポーツを通じて経験し、身体的に学んでいく。こういう力はAIに代替されるべきでなく、その養成はどんな優秀なAIでも担えない領域だと思います。
また、スポーツは他の教育活動と比べても独特の良さがあります。たとえば、試合中に監督の指示を待つだけでなく、「ここはこう動くべきだ」と自分で判断する瞬間が必ず出てきます。その積み重ねが、学生の主体性を育んでいるのです。
原田:たしかに、スポーツが育てる能力は「非認知能力」と呼ばれる部分と強く重なりますね。協働性や粘り強さ、状況判断、集中力、そして自分の感情をどうコントロールするかという点まで含めて、総合的な人間力が鍛えられます。これは、音楽教育でもまったく同じだと感じるところがあります。技術の訓練そのものも大切ですが、それ以上に、練習過程や舞台を経験することで育まれる力が多い。だからこそ、大学でスポーツや文化活動を続けることには非常に大きな意味があると思います。
福原会長:教育はいわゆる座学の学問だけで行われるものではありませんね。おっしゃる通り、それはスポーツだけでなく、音楽や美術などの芸術分野も、実は「心と身体を動かす、人間の根源的な行為」という点で共通しています。
たとえば音楽について考えると、生成AIが高度な水準で作曲も演奏もできるようになってきていますが、やはり生で聴く演奏には人の感性や身体性が宿っています。特にピアノ演奏で考えてみると、鍵盤を押す強さやタイミング、ホールの構造や、演奏会場とオーディエンスが醸し出す空気──こうしたものがすべて音に反映されます。人間だからこそ生まれる音があるんですね。
この点はスポーツも同じです。身体を動かし、瞬時に判断し、仲間と連携してプレーする。それを観客が応援する。こういったプロセスは、生身の人間が行うからこそ可能な経験となります。まさに人間らしさの象徴であり、だからこそ「感動」を生むものだと思います。
そして、こうした経験の積み重ねが、「AIでは代替不可能な能力」を育てていきます。
それから、スポーツや音楽だけでなく、ボランティア活動も大学教育の重要な要素です。
自分のためだけではなく、誰かのために動く経験は、学生にとってとても大きいのです。困っている人を助けたときに「ありがとう」と言われる。その瞬間に、学生は「自分の行動には意味がある」と実感できます。それは経済的な価値とは違う、人生にとってもっと深い価値ですよね。困っている人を助け、感謝される体験は、経済的自立を目的とする「手に職」をつける学びとは全く違う次元の学びで、このような学びこそがその人の価値観や人間性を形成します。
原田:近年、大学教育の価値そのものについて問い直しをせまる議論が増えてきたような気がします。そこでにわかに注目されている概念に、「ウェルビーイング(well-being)」がありますが、会長が挙げたスポーツを含むさまざまな活動は、最終的には ウェルビーイングに結びつくと考えてもよろしいのでしょうか。
福原会長:そう考えてよいと思います。大学でのスポーツ経験、音楽経験、ボランティア経験──これらは、その後の長い人生を支えてくれる大切な「心の資産」になるんです。これはまさにwell-beingですね。
若い頃にどれだけ身体を動かし、仲間と喜びや失敗を分かち合ったか──その経験は、40代・50代になり体力が落ちても、人の生き方に影響し続けます。ウェルビーイングの観点からも、大学スポーツは極めて重要です。その意味で、大学スポーツは、決して競技成績がすべてではなく、人がより良く生きるための感性・価値観を育てる教育でもある、ということを、競技者も、指導者や運営に関わる人たちも認識しておくべきだと思います。
原田:たしかに、大学時代に得る経験は、長い人生の中であとからじわじわ効いてくる部分がありますね。卒業して社会に出てから、「大学であの経験をしておいてよかった」と思う瞬間は、誰にでもあるのではないかと思います。しかし、今の時代、どうしても教育が“成果主義”や“短期的な指標”で語られがちです。即効性のあるスキルばかりに注目が集まり、大学の本来の役割が見えにくくなっています。
福原会長:そうですね。今の日本はどうしても偏差値や効率性に引っ張られがちですが、AIで知識が代替される時代に、本当に価値が高まるのは「生身の人間の力」です。
スポーツや音楽、ボランティアといった領域は、偏差値では測れない成長をもたらします。大学は、このような数値化が難しい教育的成果を、「大学教育の価値」として発信する時代が来ています。
その意味で、私は、こうしたスポーツや文化活動が持つ「非認知的な能力を育てる教育効果」こそ、大学教育におけるもう一つの「核」になるべきだと思っています。
生成AI は、学問的知識の多くを代替していくでしょうが、AIがどれだけ発展しても、スポーツや音楽を通じて得られる学びの多くは、絶対に機械には置き換えられません。
大学は、学問の場としてだけでなく、学生の人生を豊かにする場としての役割を、さらに高めていく必要があると思われます。その豊かさを支えるものの一つに、大学スポーツがあると言ってよいと思います。
SECTION 6:通信制大学とスポーツ:選手獲得・学業基準の課題

原田:大学は、座学の教育と学問以外にも提供価値がある、というのは昔からそうであったし、これからもそうであるに違いありません。そこでは、キャンパスでの学生と教職員の交流がその価値を担保しているという側面があると思います。そうすると、スポーツにせよ、その他課外活動にせよ、実際のキャンパスという「場」が重要ということになってくるのでしょうか?
福原会長:最近、大学スポーツの世界でも「通信制大学」の存在が非常に大きくなってきています。大学への通学がスポーツをはじめ多様な活動の妨げにならないように、ITを活用した通信制の大学には、たいへん魅力があります。一方で、選手を集めたい大学が通信制に学生を在籍させる場合の問題点もあります。
通信制は授業料も比較的低く、入学するためのハードルが低いので、どうしても「競技のためだけに在籍する」ような状況が生まることがあり得ます。大学のキャンパスに来ることも少なく、学業との関わりが見えにくい。
しかし、本来、大学スポーツというのは「大学で学ぶ学生が大学の代表として競技に参加する」という前提があります。ここが崩れてしまうと、大学スポーツの基本理念そのものが揺らいでしまうんですね。
原田:たしかに、通信制の学生が増えていることは社会全体の流れとして理解できるのですが、大学スポーツの枠組みの中では、学業との結びつきをどう担保するかという点は避けられない論点だと思います。実際、UNIVASとしても学業基準の整備が必要だという議論は出ているのでしょうか。
福原会長:UNIVASとしては、通信制だからといって、大学スポーツの機会を排除するという考えはまったくありません。しかし、「大学生としての学びがきちんと確保されているか」という基準は、これからは、どのような学びの環境であっても、確実に必要になってきます。
アメリカの NCAA では、GPA や単位取得状況を非常に厳密にチェックします。基準を満たしていなければ、どれだけ優秀な選手でも試合に出ることはできません。彼らは、“大学スポーツとは教育活動の一環である”という価値観を徹底しているのです。
日本でも「文武両道」という言葉があるように、NCAAと同じ考えであるはずなのです。アスリートが大学生である限り、そして大学の名前を背負って競技する以上は、最低限の学業を修めることから外れるのは許容できません。「アスリートは勉強しなくてよい」というのでは、大学スポーツとしては、本末転倒なのです。
ただ、現実問題として、その基準を厳格にすると、試行錯誤の段階にある大学の負担が高くなってしまうというジレンマがあります。ここは難しいところです。
ですから、急にすべてを NCAA 並みにするのではなく、段階的に「学業とスポーツの両立」を求める方向へ進めるべきだと思っています。
大学が、履修状況、単位取得、学業へのコミットメント、などの基準を整備したうえで、学業とスポーツの両立を図っている学生をきちんと育てる、という環境をつくりたいのです。
通信制の普及は、学び方の多様化を進めるよい傾向だと考えます。しかし、競技のためだけに大学籍を置くような学生が増えてしまうと、大学スポーツの価値自体が損なわれてしまいます。そこをどう整えていくかは、UNIVASの重要な仕事のひとつになると思っています。
原田:通信制であっても、学ぶ意志のある学生を正しく評価しつつ、不公平が生まれないようにするというバランスが大事なんですね。UNIVASとして、その整備を進めようとしている姿勢は、大学にも学生にも安心感をもたらすと思います。
福原会長:はい。結局のところ、大学スポーツが「教育」の一部であるという本質を守りたいのです。競技だけに偏れば、大学は教育機関としての役割を果たせませんし、学生にとっても本質的な成長を得づらくなってしまいます。
通信制の学生をどう扱うかという議論は、その根本である大学教育をどのように維持・発展させるのかという問題でもあるのです。
(つづく)
日本私立学校振興・共済事業団 本部オフィスにて
UNIVAS 一般社団法人 大学スポーツ協会 会長 福原紀彦 氏:
1954年滋賀県生まれ。弁護士・法学者(専門は商法)。中央大学法学部教授、法務研究科教授・中央大学大学院法務研究科長、学校法人中央大学理事を経て、中央大学学長・学校法人中央大学理事・中央大学総長を歴任。中央大学硬式野球部長、東都大学野球連盟理事長。その他、官公庁・自治体の各種審議会等の会長・委員、企業等の取締役・理事職としても活躍し、現在、日本私立学校振興・共済事業団理事長。



