
東京女子大学・太田 邦史 学長インタビュー
3.即戦力は陳腐化する―AI時代に問われる「自分の頭で考える力」
東京女子大学のリベラルアーツ教育では、所属学科で専門性を高めながら、他学科科目や『知のかけはし科目』の学びで新たな知と出合い、広い視野を得ることを促している。それらリベラルアーツの学びの総決算が、全員必修の卒業研究・卒業論文である。こうして身につけた「自ら問いを立て、解決する力」、そしてこれを獲得する上で身につける基盤的な知識は、生成AIと共存する現代社会において欠かせないものとなるだろう。
―― 貴学のリベラルアーツ教育が現代的な課題解決に向き合っているということがわかりました。一方で、昨今では社会の即戦力として役立つ専門教育・職業教育が求められています。行政が「理系人材」「DX」と言っているのは、要は社会に出てすぐ役に立つ人材養成を大学でもやってほしいという、実業界・産業界からの要請があるのだと思います。そのような観点での東京女子大学の教育のあり方について、学長のお考えを教えてください。
太田:経済社会で自立できるような、職業人としてのスキルを育成するのは確かに重要です。しかし、それよりも、まず「自分の頭で考える」方法を学ぶことが、すべての根幹になってくると思うんですね。そこにこそ、基盤的な知識、基礎的な学問を学ぶことの意味があります。そして、それが汎用的な能力の獲得へとつながります。
生成AIの登場により、自ら「問いを立て」て、ロジカルにやり取りして、未知の課題を発見し、解決していく。このような能力と、その獲得のための基盤的な知識は、ますます重要になっています。即戦力の知識や技術を学ぶこと以上に、根本的なところを理解して、常にアップデートするノウハウやツールとしてのAIを「使いこなす」ための力量を身につけることが大切です。それさえあれば、どんな会社でも業界でも太刀打ちできるはずです。
目下求められている即戦力の知識は、10年後、20年後には陳腐化し、不要になります。即戦力の「前提」になっている基盤的な知識と教養、つまり、最新の道具を入れるための「引き出し」をいかに作れるか。それがリベラルアーツ教育の根幹です。
ロジカルな考え方のほかにも、批判的な思考も重要です。ソーシャルメディア(SNS)で情報を得ることがふつうになると、陰謀論やフェイクニュースをそのまま信じてしまう人も増えてくる。都合よい情報に騙されやすいという人間の性を知った上で、「自分の頭で考える」。その点で、やはり「歴史」を含む人文学・社会科学を学ぶことは非常に重要なのです。長い歴史のスパンで見ると、人間の営みというものは、大昔からそれほど変わっていません。
―― 貴学の『知のかけはし科目』では、異分野の2名の教員がタッグを組んで一つの科目を担当されていますが、そのような取り組みで得られる多面的なものの見方は、騙されない知力を持ち、自分の頭で考えるために役立ちそうですね。
そうした批判的な思考に関連して、市民性の教育についてはどう考えられますか。リベラルアーツ教育の歴史を紐解くと、戦後日本の大学が新制大学に移行する際、米国は日本の民主化を狙って、いわゆるジェネラル・エデュケーション(一般教育)を導入させようとし、日本側もそれを受け入れ、人文・社会・自然科学を均等に学ぶシステム、いわゆる「一般教養」が大学で行われるようなりました。そのジェネラル・エデュケーションは、当初、市民として自立した民主的な人間の育成を理念としていました。
太田:「批判的思考」、ニュースを「鵜呑みにしない」、情報に「騙されない」。これらもやはり大学教育が担っていくべき教育であると考えてよいのだと思います。それが、市民性の教育と呼ぶかは別として、社会の構成員として身につけておくべき素養であることは確かです。
しかし残念ながら、1991年の大学設置基準の大改正=「大綱化」以降、多くの大学は、一般教養課程を捨ててしまいました。それを今になって、「もう一回戻すべきじゃないか」という検討も起こっていますが、それには、これまで議論したような背景があるのではないでしょうか。ただ、単に教養課程を復活せよ、というだけでは問題は何も解決されません。
論理的思考にしろ、批判的思考にしろ、そのような能力や、そのための基盤的知識は、学士課程の前半2年だけで身につけられるようなものではありません。そこでヒントになるのが、4年間を一貫して学ぶ教養学部の考え方です。
本学の現代教養学部も、前任校の東京大学教養学部も、1つの学部として1年次から4年次まで、そして大学院まで一貫したリベラルアーツ教育・リベラルアーツ専門を授けるというのが大きな特徴です。かつて多くの大学にあった、低学年向けの「一般教養部」ではなくて、全体が統合された教養学部です。こうした理念・構想は、今こそ、改めて日本で求められているのではないかと思います。
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