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フェリス女学院大学 小檜山 ルイ学長インタビュー[前編]

源氏物語とバイオリンを正課で学べるフェリスらしさ―――教養豊かで自立した人生を選び取るために【独自記事】


2024年4月、フェリス女学院大学初の女性学長となった小檜山ルイ教授は、「開かれたフェリス」をビジョンとして掲げ、力強いリーダーシップのもと、さまざまな新しい試みに取り組んでいる。同大は、2025年4月には新しくグローバル教養学部を開設し、現在の3学部体制から1学部3学科9コース体制となる予定で、学問分野を横断したより自由な学びが可能となる。諸改革と今後の構想について、小檜山学長に聞いた。


2025年度から1学部制に改組するねらいとは

小檜山:中長期的な将来を見据えると、本学はそれほど規模が大きな大学ではないので、時代の要請や女性の生き方の変化に合わせて柔軟にカリキュラムを変えたり、専攻の様態を変えたりしていく必要があります。学部が3つあると、学部をやめて、また新しく学部を立ち上げるというのは大変な作業になりますが、1学部の中を学科・専攻単位で変えていくというのは比較的容易ですので、そうした機敏な対応を可能にするということもひとつの狙いです。

そして、学生にとっては、学部間の壁を取り除くことによって、今よりさらに柔軟な科目選択が可能になるというところが大きなポイントです。

また、入学当初から学部ごとに分かれてしまわないので、1年2年と基礎科目を修めたあとに、自分のやりたいことに従って学科や専攻を定めていくことがより容易になります。入学者選抜は学科単位で実施し、その際に専攻の希望は聞きますが、それはあくまでその時の希望ということです。入学してから変えることもできるし、そのままの進路でいくこともできる。これも新しい制度の目玉のひとつです。まだ進路が決まっていない学生たちが、入学してからいろいろと経験することによって進路を選択できる仕組みですね。

小檜山:入学後の転学部・転学科がそれほどたくさんあったというわけではありません。いったん入学してしまうとなんとなくその学部・学科で学んでいくのが一般的ですよね。もともとフェリスは必修の縛りが少なく、現状でも、他学部の科目を取ることが可能ではあります。しかし、やはり18歳で自分が将来何になるか、何をやりたいか、はっきりと決められる人は少ないし、実際に決めなくてもよい場合があるのではないでしょうか。

私自身、大学入学時から明確な進路を決めていたわけではありません。私は国際基督教大学(ICU)の出身ですが、はじめから学者になろうと思って入学したわけではありません。「英語が出来るようになりたいからICUに行こう」とか、「キャンパスが美しいから行きたい」とか、そういう漠然とした理由で大学を選ぶわけです。ですので、学生には、大学に入ってからやりたいことが見つけられるようなガイドをしていきたいと思います。

小檜山:やはり、まず視野を広く持ってほしいです。社会の変化はとても激しいので、学生にとって、「これ一つだけやっていれば一生安泰」というものはありません。幅広い視野をもって、その中から必要なものを時宜に応じて選択できるような力を持つことが、今後ますます必要になっていくと思います。

たとえば、現代では「女性だからこういう生き方をすべき」という決まったものがなくなってきているので、学生たちには、むしろ迷いも多いと思います。ですから、いくつかの選択肢の中から自分で選んでいける土台を作ることが、教育の中で強く求められるようになってきていると思います。

したがって、リベラルアーツ教育として提供されるいくつもの様々な学びを、1、2年生のうちに広く見せて、その中でやりたいことを選んでいけるようなシステムを作るのは、とても大事だと思います。

しかし、実際に入学してみると、自分には言語学が全然合わないと思いました。言語学の先生に言ったら怒られるけど、私はこういうことをやりたくて入ってきたのではない、と思ったのです。

私の関心は「文化の違いの根がどこにあるのか」ということにあって、その追究のために、歴史とか、文学とか、宗教とか、そういった視点を持ちたいと思うようになりました。そこで、学部の卒論の時は、「新興宗教の研究」をやっていました。

そして、大学院では全く違う分野に進むことにして、アメリカに留学しました。専攻はアメリカ研究で、アメリカを文学、歴史、そして宗教、女性、そういった様々な観点から学べる学際的な学問です。私の場合、このように大学に入る時に思っていたことと、出た時に自分がやっていることが全然違っていました。

アメリカで文学をやるというのは、高度な英語の能力が求められるので大変なことでしたし、歴史についても読まなければならない量がとても多く、大学院生としてはとても苦労しました。しかし、そうしているうちに、だんだんと自分の適性が決まっていったのです。

こう考えると、大学の4年間で「専門的に学ぶ」なんてことは難しいですよね。とくに、文科系の学問というのは修得までに時間がかかりますし、自分が好きな分野、適性のある分野を見つけることにも時間を要します。

アメリカの大学院では、理系から文系に移る人や、文系から医学部に進学する人など、いろいろ人がいます。様々な経験を積んでから進路を決めるやり方が普通だし、それでよいと思うのです。そう考えると、多くの日本の大学生のように、18歳で自分の進路を「これだ」と決めて、そのディシプリンに従って学んでいくというやり方は、柔軟性が少なすぎると思います。あるいは、学びが貧しいと思います。

ご質問の答えに戻ると、教養という名前には、上述のような幅の広い学び、自由な選択や柔軟性といった意味が込められています。「教養」は、元来は、リベラルアーツの訳語です。直訳は、「自由学芸」。もともとは、職業や実利に拘束されずに、学問を自由に学んでいくという意味を持っていました。現代では、職業や実利を度外視して学びを組み立てるのは現実的ではありません。しかし、職業や実利だけで、狭く学ぶのでは、社会の変化についていく底力が養われません。未知なものへの好奇心や、異なる考え方への寛容も、幅の広い学びから生まれると思います。そういった主張が、教養という名前には込められています。

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