運動部学生が言語能力を身に着けるとどうなるかーーー文章指導の意義と方法
Q:そもそも、なぜ「書くこと」が重要なのか?
山本: コロナ禍を境にして、対面による口頭でのコミュニケーションだけでなく、リモートでTeamsやSlackなどのグループウェアを使った「書くこと」によるコミュニケーションが当たり前になり、書くことの重要性は、近年ますます高まっている。
最近話題のChatGPT等「生成AI」を使用するに際しても、プロンプトという指示文章の作り方が下手だと、凡庸な答えしか返ってこない。AIをうまく使いこなすためにも、問いを立てるスキルが必要で、そのスキルとは、やはり書くことだ。
ただし、私自身は、学生にとって「書くこと」はもっと広い意味で「生きる力」を身に着けるために必要だと考えている。とくに、経験を言葉にしていくことは、自己成長のために非常に大切なことだ。
Q:運動部に所属するような学生が「書くこと」を学ぶと、当然、学業成績の向上は見込めるが、そのこと以外には効用がありうるか?
山本: 「書くこと」のスタイルには2つある。1つは「知識をもとに考えたことを書く」ことだ。文章表現を通じて思考力や表現力を鍛えれば、学業成績は当然ながら向上するだろう。
もう1つは、「経験をふりかえり、次の一歩を踏み出すために書く」ことだ。こうした「経験の言語化」は、本来は運動部学生が得意とする分野だ。運動部学生の中には、大学に入学するまでに、すでに10年近く競技を続けてきた経験を持つ学生も多い。そうした分厚い経験値を持った学生が、自己の経験を振り返り、それを言語化して見つめなおす機会があれば、自分の強みや弱みといった自己理解を深められるだけでなく、大学スポーツにどのように向き合っていくのかという将来の方向性も見えてくるだろう。また、為末氏が指摘するように、身体経験の言語化能力は、競技力にも影響するだろう。さらには、大学4年間で競技経験を振り返る習慣をつけておくと、社会に出るときにも役立つはずだ。
Q:書くことで培われる能力があり、それは単に学業成績に関わるものだけでないということだが、そうした着想を得た経緯について、詳しく説明してほしい。
山本:私が現在の勤務校に着任して最初の年に初年次教育を改革し、基礎ゼミナールとキャリアデザインを同一クラスで連続実施する方式を導入した。基礎ゼミでは。思考力・表現力や協働力を育成するプログラムを導入し、キャリアデザインでは、自己の経験のふりかえりを行うことにした。具体的には、一人ひとりの学生が入学までにがんばってきた経験を他のゼミ生の前で話す「10分間スピーチ」である。
すると、運動部学生は非常にポテンシャルがあると気づかされた。それまでは、運動部学生はスポーツばかりしていて、学業に真面目に取り組んでこなかった学生だ、という見方を私自身も多少はしていた。しかし、運動部学生はむしろスポーツという長期にわたる経験を通して、人一倍考え、悩み、次の一歩を切り開いてきた学生だということに気付かされた。授業によって彼らの言語能力をより高めることができれば、正課内・課外を合わせた学習成果は非常に大きなものになるだろうと考えたのである。
そこで、2019年度に導入した新しいカリキュラムでは、「スポーツと言語技術」という、部活動に所属している学生のみを対象とした授業を開始した。この授業では、彼らの部活動での経験や、競技での経験を掘り下げ、言語化するプログラムを実施している。
具体的には、自己の目標設定や行動計画の策定、スポーツを通じて育成される「アスリートライフスキル」などの自己分析を行う。また、為末氏が述べているような、身体動作の言語化なども行なう。競技における失敗経験を掘り下げる「なぜなぜ分析」を行ったり、いわゆる「神プレイ」の数秒間について徹底的に説明させたりもする。さらには、部活と学業の相互作用・相乗効果について考えさせたりもしている。ちなみに、この授業が、『スポーツ探究 ことば入門』という教材を生み出すことにもつながった。