大学教育のデジタル活用へ向けて:日米の違いからの気づき

アメリカでの教育テックの利用法

竹川:LMS自体は2010年代より前から使われていました。当時一番有名だったのはBlackboardで、私が最初に米国に行っていた2011年、12年頃は、既にBlackboardが行き渡っていて、ちょうどその入れ替えが進んでいるという時期でした。

当時はクラウドが出て来たり、iPhoneが普及してモバイルに対応しなければいけなかったり、オープンソースという概念が生まれたりと、テクノロジーがどんどん進化して、Blackboard一強だったのが、そのシェアがどんどん奪われていた時期でした。

先ほどお話ししたSakaiはオープンソースのプラットフォームで、当時の全米シェアはまだ数%程度でしたが、大学が連携して、自分たちが使いたいLMSを自分たちで作ろう、というコンセプトで始まったものでした。私は、その趣旨に共感したのです。

ちなみに、このSakaiというのは、実は日本人由来のネーミングです。日本人は何も関わってないのですが、chef(シェフ)という頭文字のオープンソースコミュニティを、「シェフと言えばSakai(坂井:著名な料理人)だろう」ということで名付けられたそうです。

さて、そもそも教育におけるテクノロジーの活用について言えば、アメリカでは、それは既にラジオの時代から始まっていたのです。日本では、インターネットやコンピュータが出て来てからようやく、という感がありますが、アメリカの教育工学インストラクショナル・デザインは、ラジオをどう使うか、テレビをどうするか、というところから始まっています。テクノロジーを教育で活用するということの重みも歴史も違いますし、ノウハウの蓄積も桁違いです。

また、日本とはテクノロジー活用のための体制が違うな、と実感したのは、アメリカの大学には、必ずインストラクショナル・デザイナーという専門の職員がいて、その人たちが教員とシステムベンダーとの間に立って、授業をどのように良くしていくか、ということをきちんと考えて、実際に手を動かしてくれるのです。

日本では、大きな大学であっても、情報の専門教員がシステムベンダーとやりとりして、できたものを「ハイ、皆さん使ってください」というような、一方通行のやり取りになることが多いように感じます。それだと、本当にアンテナの高い教員の方々は使うけれど、そうでない方々には「これ、どうするの」ということになってしまいがちです。

このように、デジタルの教育での利用という意味では、日本とアメリカではプレイヤーの層が全く違うということを痛感したのが、アメリカでの貴重な経験でした。これはDX(デジタル・トランスフォーメーション)についても同様ですね。

アメリカの大学では、教員と職員がほぼ同列です。先ほどのインストラクショナル・デザイナーは、教員ではなく大学職員ですが、教員同様に教育に関わる専門職です。大学にもそのための修士課程があって、教育工学の学位を持っている専門家が、それこそ数万の単位でいます。

一方、日本では、そのような職業の養成課程自体も不足しています。熊本大学に教授システム学専攻の修士課程がありますが、他にはほとんど見当たりません(熊本大学大学院 社会文化科学教育部・教授システム学専攻)。

竹川:おっしゃるとおりです。アメリカと日本で一番意識が違うと思ったのは、アメリカの大学の経営層の人たちは「学生が一番のクライアントだ」と明確に言うのですね。日本の大学の方に聞いても「確かにそうだよね」とおっしゃるかもしれませんが、実態はまだおいついてないと思うところがあります。

アメリカでは、学生のためになることに向けて、いろいろなものがきちんと組み合わされています。先ほどのインストラクション・デザイナーも、教員を楽にすることが目的ではなく、学生がいかに効果的に学べるか、ということを第一に考えています。LMSも徹底して「学生のため」に活用されています。

そのようなゴールが明確なので、提供する側が大学に売り込む際にも、「これによって学生が喜びます。学生のパフォーマンスがこのくらい上がります」ということを伝えればよいのです。すべてが「学生の学び」という目的のために設計されているのですね。

関連記事一覧