東洋大学 矢口悦子学長インタビュー[後編]
■大学経営は実地で学んだ
Q:これまでのお話から、先生が大学のトップとしての指導力、マネジメント力というのを発揮されていることを実感します。マネジメントや大学経営において、とくに勉強されたことや、意識されていることはあるのでしょうか?
矢口:実地で学びつつ、なんとかやってきた、というところです。私の場合、ちょうど学長に就任した時にコロナ禍に突入しましたので、学長の辞令を交付された4月1日に何をしていたかというと、コロナ禍における対応を検討する委員会を作るため、規程作りをしていました。とにかくすぐに始めないと、授業もなにも全く動かせないので、未曽有の緊急事態に向き合っていました。
「100年に一度のパンデミック」ですから、前例はない。こうなったら、ゼロから作るしかないと、副学長たちと共に規程類も自分たちでゼロから文案を作って、職員と共にガイドライン作りまで一気に行なって、4月中に授業を開始しました。
すると、今度はゴールデンウィークを目の前にして、「学生が困っている」「先生も困っている」という話が、山のように出てきました。まず、学生側は自宅でオンライン授業を受けるためのWi-Fiがない、ルーターなどの機器を持っていないという問題。授業を受けるための環境を整えるためには、ともかく学生に支援をしないといけないということで、役員会で、全学生に一人5万円を給付してもらえませんかと掛け合いました。理事長をはじめとして役員は事態をよく了解してくださり、「わかった」と合計16億近い給付を決定してくれました。よくぞ支援してくださったと感動しました。
教員側はオンライン授業をどのように実施するのかのノウハウがないために困っていて、そこで、LMS(インターネットで講義や学習を管理するプラットフォーム)を活用しました。また、当時はそれほど浸透していなかったビデオ会議システムを導入し、学部の先生たちが各種自主グループを作って勉強会を開いていました。彼らは、自主的にオンラインで授業をどう運営するかを学び、教えあい、ゴールデンウィーク明けぐらいには、さまざまな問題もすこしずつ落ち着いていきました。
しかし今度はゴールデンウィーク明けすぐに、ある学部から、もう一つの大きい問題が提起されました。それは、学生のメンタルヘルスの悪化という問題でした。人と会わずに自宅に籠って、オンラインでずっと授業を受けているだけだと、心の問題が必ず出てくる。そこで、オンライン授業だけではだめだ、学生たちが大学に来て、人と会える場を作らなければということになり、同年6月頃に、学内にそうした学生たちのスペースを用意する学部も出始めました。
学部長経験しかない私は、大学経営のことは何もわからないまま、そもそも学校法人の仕組みも実はよくわかっていないぐらいの状態で学長に就任したのです。しかし、目の前の緊急事態に対処しなければならない。この状況を切り抜けるために、全学部長や事務局の部長たちにも入ってもらい新しい委員会を作りました。
どんな組織でも、トップダウンで命令するような形だと、機動力は発揮されません。「学生の学びと研究を守るため」という目標を定め、教学を担当する常務理事に委員会メンバーに入ってもらい、必要な経費は理事会に諮って判断を仰ぐことにしました。前例がないなら教職協働で作るしかないという状況でどうすればよいかを一から考えながら進んできました。
Q:日本のジェンダーギャップ指数の低さがニュースになっていました。実際に学長として一線で活躍されている方から見て、今後の女性の活躍についてどう思われますか。
矢口:女性が活躍できるかどうかではなく、活躍しなくてはならないと思います。そうでなければ、もうこの国は立ち行かなくなるのは目に見えています。どうしようかと迷う必要もなく、とにかくやらなくてはいけない。やってみて、そして、やっていれば、自ずと力はついてくる。昔はよく「女性ならではの発想で」などと言う人もいました。しかし、今、私にそのようなことを言う人はいません。
つまり、男性でも女性でも必要なものは必要だし、力を発揮しなければいけないときは発揮する。男性でも女性でも厳しい決断をしなければいけないときがある。女性は経験がなかったり、経験が少なかったりするために、一歩引いてしまうことが多いのですが、そのような習慣がなくなれば、多くの女性はもっと力をつけられると思います。
Q:最後に、大学の関係者に向けて、何かおすすめの本を紹介していただけますでしょうか。
矢口:実は、本の紹介は難しいですね。自分の専門の領域であると特定できるのですが、大学のことについて、さまざまな関係者に理解してもらうという趣旨で選ぶのであれば、次の2冊をご紹介します。
まずは森本あんり先生(東京女子大学学長)による『教養を深める――人間の「芯」のつくり方』PHP新書(https://amzn.asia/d/07mGRAoS)です。この本は「AIなんかに振り回される人間になるな」と言っています。
もう一冊は、坂村健先生(東洋大学名誉教授、情報連携学学術実業連携機構長)の『イノベーションはいかに起こすか――AI・IoT時代の社会革新』NHK出版新書(https://amzn.asia/d/06ZarZWX)です。この本は、東洋大学の“INIAD”(イニアド:情報連携学部・研究科)で行われている教育・研究のことや、井上円了先生の精神に触れ、どうしてAIやコンピュータの世界と哲学的な思考がつながるのかをわかりやすく書いてくれています。2冊の書籍は一見、対極にあるかのように見えるのですが、私には同じことが書いてあるように読めました。ぜひ両方とも読んでみてください。
東洋大学 学長 矢口悦子教授
プロフィール
秋田県出身、お茶の水女子大学文教育学部教育学科卒業、同大学院人間文化研究科(博士課程)単位取得満期退学。お茶の水女子大学、千葉大学、山脇学園短期大学勤務を経て、2003年より東洋大学文学部教授。2020年4月に東洋大学学長に就任。博士(人文科学)。専門領域は、社会教育学、生涯学習論。
主な著作
『イギリス成人教育の思想と制度―背景としてのリベラリズムと責任団体制度―』、新曜社(1998)
『地方分権と自治体社会教育の展望』(共)、東洋館出版社(2000)
『女性センターを問う―「協働」と「学習」の検証』(共)、新水社(2005)
『変革期にあるヨーロッパの教員養成と教育実習』(共)、東洋館出版社(2012)
『地域を支える人々の学習支援―社会教育関連職員の役割と力量形成―』(共)、東洋館出版社(2015)
『英国の教育』(共)、東信堂(2017)
『日本の文化と教育』(放送大学教材)(共)放送大学教育振興会(2023)
前編 はこちら
インタビュー、構成・編集:原田広幸(KEIアドバンス コンサルタント)、阿部千尋(KEIアドバンス コンサルタント)