
清泉女子大学 山本達也学長インタビュー
■ 「規模の価値」を活かした教育
--文系の中でも、特に哲学や倫理学を学ぶ目的のひとつに、科学が進化していく世の中で社会の方向づけをしていくという点があります。今は、生成AIが進化を続けていますが、こうした社会における価値観や道徳の教育についてはどうお考えでしょうか。あるいは、貴学ではカトリックの教育でそういうことが学べるようになっているのか、そのあたりのことをお聞かせいただけますでしょうか。
山本:清泉女子大学はカトリックの大学なので、年に数回の儀式があります。例えば、年度はじめのミサ「始業の集い」では、神父のお話を聞き、聖歌隊が聖歌を歌います。
頭での理解と、身体を伴う内面的な理解って、やはりすごく違いますよね。頭だけで理解しようとすると、なかなか定着しない。だから、たとえばミサで発せられた言葉が心の中まで届くような共通体験を持つということは、その後に大きく影響すると思います。
本学の定員は、1学年当たり330人と決まっているので、全員が講堂に入れます。全学生が同じ場所で同じ時間を共有できるサイズ感というのは、実はすごく貴重です。学生たちは、入学式の後も、「創立記念ミサ」など節目節目に顔を合わせるんです。この規模の価値というものを、あらゆる面で考えていきたいと考えています。
--こうした規模感は、教育にも生かされているのでしょうか。
山本:私たちは学生一人ひとりの「経験値」を上げるべく、積極的に動いているのですが、こうした取り組みにおいて、この規模感は有効です。地球市民学部のフィールドワークがその1つです。私は、地球市民学部の教員としてフィールドワークで途上国に行き、支援を必要とする人々と一緒にご飯をつくって食べることもありますが、その夜にミーティングをすると、テレビでドキュメンタリーを見ても出てこないような言葉を、学生たちから聞くことができます。
規模によってはこうした経験を提供できる大学と、それが難しい大学があるのは確かでしょう。しかし、私たちはあらゆる場面で、心に何か残るリアルな体験を積み重ねてほしいと思っています。
最近では、フィールドワークの授業で学生を連れて、モロッコに3週間行きました。
--モロッコに3週間ですか。
山本:はい。教員にとっても負担が大きいので、教員1人当たり2、3年に1回しか担当することはありませんが、その頻度だからこそ、どの教員も力を入れて、綿密に計画を設計しています。
地球市民学部で実施する国内外のフィールドワークはすべて、学部内の教員全員が同じ熱量で向き合っています。全学に行き渡っている価値観を意識しながら教育活動が展開できるのも、やはりこの規模の大学だからでしょう。あと、通常、教員というものは、研究時間を最大化したい生き物ですよね。だから、教育に時間をかけすぎて研究時間は少なくなることを恐れる。ところが、本学には、学生のために時間を使うことに対して、異論を唱える教員がひとりもいません。
昔はシスターたちが教員として授業を担当していました。シスターたちは、ある意味、人生のすべてを懸けて、教育を行なっている。そういうカルチャーが非常に大きな影響を及ぼしているのだと思います。