• TOPインタビュー
  • 国際紛争、大規模災害、少子高齢化など、厳しい状況の中で新しい道を拓くための人材育成・社会貢献に資する大学への期待は大きい。真摯に改革に取り組む大学トップの声を紹介する。

関西医科大学 木梨 達雄学長インタビュー[前編]

「伝統と多様性」「臨床と研究」の融合が未来で花開く【独自記事】


大阪女子高等医学専門学校を前身とし、単科の医科大学からスタートした関西医科大学は、現在、医学・看護学・リハビリテーション学を学べる医療系複合大学へと変貌を遂げた。前編では、この大学の転換期を経験した木梨学長に、伝統ある大学の歴史と大学改革のストーリーを語っていただく。さらに、医療の世界において重要なチームスピリッツの養成に向けた取り組みや、今後の大学のビジョンについてもお話いただいた。40年のキャリアに裏付けられた、医学研究の面白さと進歩に関するエピソードも必見です。

【目次】
■ 関西医科大学の伝統と変化
■ 共学という環境で男女協働の意識を育む
■ チームスピリッツの養成をめざしてーー3学部合同授業の実施
■ 関西医科大学の2つのビジョンーー総合医とフィジシャン・サイエンティストの育成
■ 前編エピローグ:基礎研究の成果が社会実装に結びつくまで
中編へ   後編へ


関西医科大学の伝統と変化

本学は1928年に創設された、大阪女子高等医学専門学校を前身としています。創設当時は、いわゆる大正デモクラシーがピークを迎えていた一方で、暗澹たる戦争期へと足を踏み入れつつもあった時代です。そうした社会の変化の中で、女性の人権意識の向上とともに、医師や弁護士といったいわゆる高等職業にも、女性を登用する気運が高まっていきます。このような背景の下、当時「職業婦人」とも呼ばれた、社会的な女性の育成を目的とする高等医学専門学校が、西日本で初めて設立されたのです。このことは、医学の道を志す女子にとっての福音であったと思います。

しかしながら、大学の経営が軌道に乗るまでは、やはり大変だったようです。学長に就任したことを機に、本学の歴史を改めて勉強すべく、『90年史』など過去の同窓会雑誌を読んだところ、初期には大学が存続の危機に立たされたこともあったと記されていました。その危機に際し、率先して父兄や教員を巻き込み、大学存続のために働きかけたのが、本学の第1・2回生です。本学の歴史を勉強すればするほどに、彼女らの教養レベルの高さ、社会的意識の成熟度にはたいへん驚かされました。

例えば、本学の建学の精神である「慈仁心鏡(「慈しみ・めぐみ・愛」を心の規範として、生きる医人を育成すること)」は、学歌「のぞみ」に由来する言葉ですが、その詞はプロの作詞家の手によるものではありません。実は第2回生の宮前澄子さんが、本科2年生(当時19歳)のときに書いたものなのです。

非常に良い歌詞で、古来桜狩りの地であったここ枚方(ひらかた)、交野(かたの)の自然が描かれるとともに、「この地で我々はこれから医師を目指すのだ」という気構えが前向きに表現されています。これほど素晴らしい詞を若干19歳の学生が書いたことに鑑みても、当時の学生たちが文化的な教養に長け、社会的意識も高く、非常に自立精神に富んでいたことが推察されます。つくづく感心しました。

また、その当時の卒業生のノートが、歴史資料館ならびに同窓会に残っています。ドイツ語、英語を中心にきちんとまとめられたノートです。もちろん、知識としては古い時代のものですが、そのノートを通して伝わってくる当時の学びやそれを学ぶ姿勢、その学びを支える彼女らの教養の高さには感服せざるを得ません。


関連記事一覧