編集工学研究所・安藤昭子氏インタビュー
●「問いを発する」ことは、人間にしかできない
Q:新著の『問いの編集力』でも触れられていますね。
安藤:現在、SNSをはじめネットがここまで普及し便利な環境にあるように見えますが、一方であふれかえる情報とどう付き合えばいいか、多くの人が疲弊しているようにも思います。言説がちょっと目立つと炎上に繋がる「キャンセルカルチャー」の脅威も影響してか、「自分が何を考えるべきか」ということすら誰かに与えてもらわないと怖い、という感覚も蔓延しているように見受けられます。自分自身の好奇心に蓋をせざるをえないような環境ですよね。
これは非常にもったいない。ひとりひとりの想像力がもっと自由な状態でいるために、もちろん社会が変わっていければいいのですが、これはなかなか難しい。まず個人ができることとして、私たちそれぞれの自己認識をほぐすところから始められるのではと考えました。「自由に考えていいんだ」と、ひとりひとりが思える環境をどうすると作れるか。その際に、鍵になるのが自ら「問う力」を取り戻すことだと思いました。自分の「問い」を発し、それを編集していく力です。人間はなぜ問えるのか、果たして問いはどこからどうやって生まれてくるのか。そのメカニズムを探ったのが、『問いの編集力』です。
実はこの本、3年前に構想しすぐに半分ほど書いたのですが、途中から「いったい何に向けて仕上げたらいいのか」と迷い始めてしまったんです。そんな時に、イギリス出身の文化人類学者であるグレゴリー・ベイトソンの著書に出合います。そこに書かれていたのは、なんとも奔放な「問いの力」。これをきっかけに「問いの力が、どこか息苦しいこの社会が抱える問題を解決するための突破口になるのではないか」と考え、後半を書き上げました。
本著では、たとえば、自分の中に共存する多様な「私」を取り出し、「たくさんの私」を解き放つことで思考をやわらかくするトレーニングを行なっています。その中には「私は○○○な×××である」(「×××」は名詞、「○○○」はそれを修飾する言葉)という構文を20〜30個つくってもらうなどという課題も含まれます。イシス編集学校の「守」で最初のほうに取り組んでいただくお題でもあります。こうすることで、まずは「私」を自由にしてあげる。ものの見方や考え方を意識的にずらし、問いを発する「土壌」を用意するのです。
余談ですが、先日、慶應義塾大学教授で「日本のインターネットの父」とも呼ばれる村井純さんにお会いして、「2024年はデジタル社会における転換の年である」という話をお聞きしました。「ChatGPTを含め、情報を扱う道具立てがすべてそろった」と。バージョンが更新されることはあっても、道具そのものがこれ以上出ることはないということですね。これからは、「人間はどうあるべきなのか」という時代に入っていく、と。
人間にしかできないのは、「思考を立ち上げる」ということです。好奇心をもち、疑いを抱き、問いを発する。ここが重要になります。こうした背景もあり、『問いの編集力』は今年中に出版したい、という思いがありました。