東京女子大学 森本 あんり学長インタビュー[前編]
■ 人格教育の鍵は“人的かかわり”と“Campus”
--リベラルアーツ教育の目的として重要なのは、「汎用的能力の養成」と、志や倫理観、生き方にかかわるような「マインドの教育」とのことでした。特に後者について、そうした「マインド」というのは、大学教育の中で具体的にどのように養成されていくのでしょうか。
まず、先生とのインタラクション(相互作用)が一つ。人の学ぶモチベーションがどのようにして向上するかというと、「あの人みたいになりたい!」、「あの先生の研究はとても面白い!」、「あの先生が勉強しているようなことを私もやりたい!」といった憧れの気持ちに由来する部分が非常に大きいです。しかしそうした憧憬の念は、人格的な関係の中でしか生まれてきません。
仮にAIを例として考えてみましょう。AIは何でも知っていますよね。けれども、「AIみたいになりたい」という人はいないと思います。それはなぜか。AIには個性がないからです。AIは人ではないため、それ自体に魅力がない。便利ではあるけれども、魅力はないのです。
「AIのように膨大な知識を備えたい」と思う人はいるかもしれません。しかし私たちは、そんな「便利だけど魅力がない人」になりたいわけではありませんよね。便利ではないかもしれないけれど、なんだか無骨だけれど、魅力のある人になりたい、そう思うのではないでしょうか。勉強することに「内的なドライブがかかる」とはそういうことです。
もう一つは、やはり学びの環境が大きな役割を果たしていると考えます。それこそ真・善・美と言いますか。
大学というのは、研究だけだと「真」ですね。真実、真理を求める。しかし、そこには同時に「善」、倫理的な問題も必ず生じてきます。それから「美」。やはりキャンパスは美しくないといけません。なぜならキャンパスは、「魂を遊ばせる場所」だからです。
“campus”とは本来、建物がないところを指す言葉です。キャンプできるところ、空っぽの地、平たんな場所・野原を意味します。決して大学の建物を指す言葉ではありません。
芝生があって、そこにぽろぽろと人が集まり、寝転んだり、遊んだり、散歩したりする。そのようなスペースがとても大切です。19世紀のアメリカでは、自然は「魂が遊び、自由になる庭」だと言われていました。当然、そこでの楽しみ方も自由です。一人で神と語らうでも良いし、友人や恋人と語り合っても良いでしょう。人格教育については、こうしたものに依拠する部分も大きいと私は思います。