
「2040年の大学・高校、高大接続を展望する」溝上・増谷対談レポート
2025年12月22日「河合塾・KEI大学経営総研 共催WEBセミナー」溝上慎一氏(桐蔭学園理事長)× 増谷文生氏(朝日新聞)の対談レポート
2025年12月22日、河合塾とKEI大学経営総研が共催したWEBセミナー『2040年の大学・高校、高大接続を展望する:学生・生徒中心の教育の再構築へ』が行われた。本稿ではセミナーの対談パートをレポートする。
対談パートの登壇者は、長年にわたり日本の教育改革を牽引してきた学校法人桐蔭学園理事長の溝上慎一氏と、教育現場のリアルを丹念に取材し続ける朝日新聞記者の増谷文生氏。
大学進学が当たり前になる「ユニバーサル化」の時代を迎え、18歳人口の劇的な減少という不可逆的な変化が目前に迫る中、日本の大学と高校はどう変わるべきか。そして、その変革の核心であるべき「学生・生徒中心の教育」をいかに再構築するのか。本対談で両者は、この重要かつ困難な問いに多角的な視点から切り込み、日本の高等教育が直面する構造的な課題を議論した。
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1. 揺らぐ「学力」の定義と大学教育の形骸化
現代における「学力」の概念は、単なる知識(暗記型の知識)から、思考力や表現力、主体性といった汎用的能力(ジェネリックスキル)、コンピテンシーといったものへと大きく拡大・変化している。この変化は、入学者選抜のあり方から、教育の内容、指導法に至るまで、大学・高校の「あり方」に対し、根本的な問いを投げかけている。教育の仕組みやあり方が、こうした新しい学力観に適応できるか否かが、今後の大学・高校の存在価値を左右するといっても過言ではない。
対談の冒頭で、溝上慎一氏は、この「学力」の問題こそが議論の出発点であると指摘する。学力とは「知識」をベースとしながらも、汎用的能力や資質をも含むものと考えられるようになっているが、問題は、この「新しい学力」への正しい認識がはたして大学人にあるのかという点にある。溝上氏は、いわゆる「知識」の大切さは誰よりも認識していると前置きした上で、大学人の意識改革の遅れに強い懸念を示す。もちろん、大学教育においては、一般選抜(学力試験)で測られる力(=教科型学力)も一定程度は必要であることは確かであり、多様な入試形態を通じて多様な学生を受け入れることが一般化している現状における「基礎学力をどう担保するか」という問題は重要である。しかし、溝上氏は、学力の問題の議論は、入試の形式・形態論に留まるべきではないと強調する。
真の問題は、大学入学後の「教育」のあり方にある。溝上氏は、少なからぬ大学(特に大規模大学等)における「講義改革の停滞」を構造的な問題として鋭く批判した。アクティブラーニングや少人数教育の重要性が叫ばれて久しいが、100人、200人を超える「大人数講義」が温存されたままだとしたら、学生の資質・能力を育む教育の実現は難しい。この問題は、文部科学省への答申などでも、30年以上も前から指摘され続けてきたにもかかわらず、根本的な改善までは至っていない。
同氏は、30年以上にわたり同じ課題が指摘されながらも、2025年初頭の「知の総和」答申に至るまで、具体的な進展が見られない現状を「大きなショック」だとし、大学改革の議論自体が形骸化し、次なる段階に進むことができない現状への問題意識を露わにした。
増谷文生氏は、偏差値や大学ブランドではない、大学の教育力そのものを可視化する試みとして、令和7年度から文部科学省が主導して始まった「全国学生調査」の結果について言及した。この調査では、小規模ながらも教育改革に熱心な大学が高い評価を得る傾向が見られる(令和6年度の「第4回試行実施」の結果=ポジティブリストによる)。こういった大学があることを行政当局が周知することにより、今後の大学改革を推進する実効力を発揮する(影響力を拡大する)可能性はあるにしても、そこにはジレンマも存在する。いわゆる有名ブランド大学だけでなく、一般の受験生や親世代の学資負担者には「無名」な大学も多くランクインしていることから、調査自体の信頼性を疑う向きもあるという。真に教育改革に熱心な「よい大学」が、本当によい大学だという認識が「社会(世間)」全体に広まるには、まだ多くのハードルがありそうだ。
さて、こうした議論を通じて徐々に浮き彫りになったのは「何のために大学は存在するのか」という根源的な問いである。入試制度や教育方法論の先にある、各大学の教育機関としての使命や理念そのものが、今まさに問われている大きなテーマである。
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