オピニオン/研究

複雑・多様化する社会の構造的な課題を提起し、これからの高等教育のあるべき姿などを問い、課題解決の方法を提言していく。

河合塾講師が語る!2025年度新課程入試 ―地理編―[後編]

スケールを可変させながら物事をとらえる力を養うのが『地理』である

やはり多面的・多角的な視点の獲得が一番大きいと思います。時にミクロな視点から、時にマクロな視点から、ある物事や事象を、「自らスケールを変えて見ることができる力」が身についているというのは、とても重要なことです。

例えば能登半島について、「なぜあのような交通の便の悪い場所に人が住んでいるのか」といった疑問が生まれるのは、現代の陸側からのミクロな視点でしか物事を見られていないことの証左です。確かに、陸側から見ると能登半島はいわゆる「陸の孤島」ですが、海側から見ると日本という陸地の一部分であり、「玄関口」とさえ言える場所です。これは誰にでも分かることのようで、一つの視点に固執していると意外に気が付けないことだったりします。事実、能登半島は江戸時代に、日本の海運を支える港湾都市として大いに繁栄していました。だから、能登半島には昔から人が住む町があるのです。時代の変遷に伴う交通網の変化や産業構造の変化などに着目できるマクロな視点を持っていれば、今日の能登半島の姿が形成された理由を理解することは、それほど難しくありません。

こうした「スケールを可変させながら物事をとらえる力」を養うのが『地理』であると私は考えています。ゆえに、我々指導者としては、「様々な視点から多面的に物事を見る力」、そして「個々の事象を総合して一般化する力」を生徒に身につけさせることが重要です。個別具体的な知識だけでなく、ある物事や事象、あるいは課題に対し「どのように考えるか」を、地理の勉強を通して教えているのだと思っています。

そのために、授業では受験対策を行いつつも、そうした能力がきちんと養成されるよう、まず知識をインプットさせ、それらを咀嚼させたのちアウトプットさせ、適宜複数の視点で考えることができるような工夫を行っているつもりです。この点が、指導者として面白さを感じるところでもあります。

したがって、高校で地理を学んだ生徒たちには、物事を多面的に、自らスケールを変えて見ることができる力を備えた人に成長してもらいたいと思います。しかし、そうした固い話でなくとも、例えば外国の方と会話をする際に、最も共通の話題としやすいのが地理や歴史の話です。表面的にでも、それらの知識が身についていれば、行く先々で話題に困ることはないでしょう。その意味でも、地理を学ぶ価値はあると思います。


■ 学問への興味が継続される大学教育の在り方を考える

地理の勉強を通して獲得できる多角的視点や、さまざまなスケールで物事をとらえる姿勢は、大学での学びに必要不可欠です。その意味でも我々は、受験に最適化しながらも、大学での学びに堪え得る力を、「生徒に悟らせぬかたちで」養成しています。特に大学1年次の教育において教員が学生に期待する能力は、担保して送り出しているつもりです。

しかしながら、大学での学びに対応できる能力と姿勢を身につけているにもかかわらず、大学入学後に、学問への興味を失ってしまう学生が一定数いるのはなぜでしょうか。さまざまな要因が考えられますが、その一つとして、現在の学生評価の仕組みが関係しているのではないかと私は考えます。

「GPA何点以上を卒業要件とする」といったことは、まさにその典型です。そうした学びの「システム」の中に置かれた学生は、当然、それに最適化して行動するようになります。そうすると、学生の勉強に対する姿勢が、純粋な学問追究から、求められる評価を獲得することへ、自然と移り変わっていくのは想像に容易いでしょう。ゆえに、「学生の学問追究に対する意欲が足りないのは、高校までの学び方がよくないからだ」といった意見に、私は賛同できません。

学生たちが高校での学びを通して獲得してきた能力や、学問への興味が継続され、さらに伸長するような大学教育、学生評価の在り方を望みます。国からの指導などもあるため、難しい部分ではありますが、我が国全体で考えていくべき課題として、気にかかっているところです。


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