
河合塾講師が語る!2025年度新課程入試 ―世界史編―[後編]
■ 歴史とは、先人が命をかけて壮大な実験をしてくれた場の集積である
――生徒たちは高校での学びや受験を通して、「世界史の力」を身につけてきたと思います。その「世界史の力」とはどのようなものだと思いますか。また、その「世界史の力」を、大学生活あるいはその後の人生において、どのように生かしてほしいですか。
「世界史の力」……、こちらも難しい質問ですね。
まず歴史学習を通して、「物事が起こるときには必ず背景があり、経過があり、影響がある」という視点を養えていると嬉しく思います。当然、何の背景もなく、急にそれ単体で発生したような出来事もあるでしょう。けれども、「何の背景もなかった」というのも、また背景です。
現在、世界あるいは日本で起こっている出来事の中には、想像力の欠如が原因で、事件につながってしまった事例がいくつもあります。歴史学習を通じて物事の相互関連性に気がつけていると、「この行動は周囲にどのような影響を及ぼすか」を事前に想像できるようになるため、そうした事件は起こりにくくなるはずです。
また、諸事象にまつわる背景・経過・影響の関連性について考える姿勢が身についていると、社会に出てからも眼前の出来事に対して、「なぜそうなったのだろう」と考え、分からなければ自分で調べるような人になっていると思います。そして調べる際に、「この資料は誰が、どのような立場で書いたもので、いったいどこまで信用できるのだろうか」まで考えられているとなおさら良いですね。この力さえあれば、世の中を十分に生き抜いていけます。特に『探究』になって、多面的で多角的な学びが強調されていますから、歴史学習を通じて、そのような視点を涵養できていると嬉しいです。
それから、歴史的事実はたった一つだけれども、立場によってその見え方・捉え方は大きく異なることを理解できるようになってくれていると非常に良いですね。
例えば、いま私が目の前に出している人差し指。私からは爪が見えていますが、そちら側からは指紋が見えていますよね。「私の人差し指という事実は一つ。けれども、立ち位置によって見えているものは異なる」。これは、歴史においても同様です。歴史も見る人の立場によって、その見え方・捉え方が大きく異なります。歴史学習を通じて、「一つの物事に対する見え方、捉え方は複数ある」ということに気がつき、その捉え方の違いを互いに理解し、共感する姿勢を、生徒たちには身につけてもらいたいです。こうした姿勢は国際理解にもつながっていきます。
また、そのような固い話でなくとも、「知識としての世界史」も私は十分に「あり」だと思っています。これからの時代を担う人たちには、グローバルな活躍が求められます。その際、ビジネスパートナーの出身国の歴史を知っていると、相手のバックボーンをつかむ大きなヒントとなるでしょう。当然、ビジネスの場だけでなく、旅行先で外国の方と接するときにも有用です。さらに、世界史を学ぶことで、日本と世界の他地域との共通点や差異が見えてくるようになり、より広い視野が獲得できます。
最後にもう一つだけ。歴史とは、先人が命をかけて壮大な実験をしてくれた場の集積です。
例えば、ある国で経済状況が悪化したとします。その際、経済保護政策を出し、自国の経済を守ろうとするケースは少なくありません。しかしその結果、他国との対立が生じ、最悪の場合、戦争が勃発してしまうこともあります。こうしたことは、歴史上、何度も繰り返されてきました。あるいは、人々の交流が盛んになると、従来その地域ではみられなかった疫病が発生し、多数の死者を出します。これも、歴史上数えきれないほど起こってきた出来事です。
つまり歴史とは、「このようなことが起こったら、こうした現象につながっていく」ということの集積なのです。そこから学べることは山ほどあります。これこそまさに歴史を学ぶ意義であり、「歴史『に』学ぶ」ということであり、「歴史も役に立つことはある」と私が考える理由です。
実際に生活をしている中で、「歴史から学ぼう!」と思う機会はなかなか無いかもしれません。けれども、ふとしたタイミングで、そのように思える人が一人でも増えてくれるなら、素敵なことだと思います。