
大和大学 田野瀬 良太郎総長インタビュー[後編]
大志を、まとえ。――「東の早慶、西の大和」への挑戦【独自記事】
「東の早慶、西の大和」このフレーズは教育界に大きな波紋を呼んだ。馬鹿にする者さえいた。しかし、大和大学は本気である。田野瀬総長はなぜこの夢を抱いたのか。その実現に向けて、現在どのような準備が進められているのか。ついに天下に宣言された、その「大志」に迫ります。
【目次】
■「東の早慶、西の大和」をめざす――10年の時を経て天下に宣言された大志
■ 「東の早慶、西の大和」をめざす重点施策
【学生、保護者の満足度を最大限に高める】
【常に動く、時代に変化する】
【各学部の進路(就職・大学院進学等)の数値目標を明確にし達成する】
■ 常に次の目標を求めて
◀「トップは夢を語らねばならない」西大和学園の軌跡が語られる前編はこちら
■「東の早慶、西の大和」をめざす――10年の時を経て天下に宣言された大志
「4年制の総合大学をつくること」それが私の長年の夢でした。総合大学に具体的な定義はないのですが、学部が5つ、6つとあって、文系と理系両方の学問を学ぶことができる、学生数5,000人超の大学を「総合大学」と私は認識しています。教育学部・保健医療学部の2学部から始まった大和大学は、2023年の情報学部設置をもって、ついに6学部を擁する大学となりました(上記3学部のほか、政治経済学部(2016年設置)、理工学部(2020年設置)、社会学部(2021年設置)がある)。
おおよその体制は出来上がった。このタイミングで、我々は今まで内に秘めてきた目標を公表することにしました。「『東の早慶、西の大和』をめざす」という目標です。
関西ではこのフレーズを使ったテレビCMも流しているのですが、そのインパクトが非常に大きいようで、最近はどこに行っても、「あの大和大学ですか?」「『東の早慶、西の大和』の大和大学ですよね」と皆さん言ってくださいます。スローガンの広がりを感じますね。
一方、ネット上では大炎上しまして。今でもCMが流れると大学に問い合わせが入ります。「関西の大学をこけにするな!」「東京の大学を引き合いに出してあんなことを言って」など、まさに「出る杭は打たれる」状態で叩かれまくっています。
――その目標はいつ頃からお持ちだったのですか。
公にしていなかっただけで、私は大和大学の開学当初から学内の者には伝えていました。「せっかく大学をつくるんだったら、早稲田大学・慶應義塾大学に匹敵するような大学を目指そう」と。
西大和学園開校から40年間、高等学校を運営、経営しながら、私は「関西にも早慶レベルの大学が欲しい」と思い続けてきました。もしそのようなトップレベルの私立大学が関西にもあれば、高校現場の進路指導の幅が大きく広がるのに。子どもたちにも思い切り挑戦させてあげられるのに。そう考えていたのです。
関西在住の子どもたちにとって、早慶大への進学は、慣れない東京での一人暮らしが絶対条件となります。加えて、家庭に大きな経済的負担がかかることも事実です。その意味でも、関西に早慶レベルの大学を私は求めていました。そして、大和大学がそうなりたいと思ったのです。
そのためにも、まずは「総合大学化」を目指しました。2学部しかない状態でそのようなことを唱えていても笑われるだけですからね。
10年前は思っていても公にはできなかった「東の早慶、西の大和」。しかし今、いよいよそこを目指すための体制が出来上がりました。よってこのたび、「天下に宣言した」わけです。あのCMは単なるプロモーションではありません。「宣言」です。そして目標を公表した今、この先はその実現に向けて、ひた走っていきます。

大和大学のキャンパス(写真提供:大和大学)
■ 「東の早慶、西の大和」をめざす重点施策
しかしながら、目標を宣言しているだけではその実現は不可能ということも重々承知しています。そこで我々は、改めて大学の中身をしっかりと整えるべく、3つの重点施策を打ち出しました。
1つ目は、「学生、保護者の満足度を最大限に高める」こと。これまでの経験から、学校というものは、生徒、保護者の満足度が高ければ高いほど発展するという実感を得ているため、本学でもそれを実践しようと考えました。
2つ目は、「常に動く、時代に変化する」こと。停滞は後退につながります。じっとしていてはいけません。常に動き、時代にあわせて変化し続けなければならないのです。
そして3つ目が、「各学部の進路(就職・大学院進学等)の数値目標を明確にし達成する」こと。すなわち、きちんと「出口」を保証するということです。漠然とではなく、目標を数値で明確に定めている点にポイントがあります。