甲南大学 中井伊都子学長 インタビュー[前編]
■いつの時代でも生き抜く力をつける「人物教育」
--『先生、どうか皆の前でほめないで下さい:いい子症候群の若者たち』という、金沢大学の金間先生のご著書(東洋経済新報社,2022年刊)があります。大学の授業で学生を観察してきた結果や、アンケート調査等の結果を踏まえて、大学生がどのように変わってきたかを論じた本です。その中で、例えば講義用の大教室で学生はどの位置に座ろうとするか、教員から褒められた時にどのようにふるまうのか、これらが、昔と全然違ってきているというのです。
先ほど、中井先生は、甲南大生の気質は、基本的なところは昔と比べてもそれほど変わっていないとおっしゃいました。コロナの影響を除いても、やはり、昔とは違った意識や志向をもつ学生が増えてきているのではないでしょうか。そして、そうであるなら、教員のほうも意識や指導法を変える必要があるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
「ほめないで下さい」というのは、よく理解できます。私はゼミで国際模擬裁判というものを行なっております。これは、現在であれば、例えばウクライナ対ロシアの紛争や、北方領土問題における日本対ロシアの対立などを取り上げ、学生には各国の代表になってもらい、お互いに調べてきて、まずコンプロミー(裁判所への付託合意書のこと)を出し、その翌週にディベートをする演習型の授業です。
しかし、例えば5人のチームで課題に取り組ませると、やはり個々の取り組みに濃淡があらわれます。発表自体はじゃんけんか何かで決まった代表者が行ないますが、言葉遣いや発表の完成度から分かるのです。「おそらくこれはこの学生が書いたものではない、リーダーは別の学生だ」と。
質問への回答ぶり等から、リーダーが誰なのか、私には明白です。しかしそこで「リーダー頑張ったね」と言うと、「いえ、みんなでやりました」と返ってきます。絶対に一人秀でないように。
昔であれば、チームのうち必ず1人か2人は、「私が頑張って、あの子たちは何もしてないのに、全員が同じ点数になるというのはどういうことですか」、「私のやったことなんだから、私をきちっと見てください」と言ってくる学生がいたものですが、今は誰もが、「みんなでやったことですから」と言います。一人が秀でることで、SNS等で批判されるといった怖さがあるのかもしれません。
--そうした状況に鑑みると、貴学の「人物教育」のような生き方の根幹に関わる教育が非常に重要になってくるように思います。
そうですね。しかしながら、高等教育において「人物教育」を実現することは非常に難しく、私たちも日々、頭を悩ませております。
私たちは、「専門教育と共通教育と正課外教育、この3つのバランスをしっかりと取り、過不足なく学びなさい、これこそが『人物教育』です」と指導をしています。したがって、「内面を磨きなさい」とは自信を持って伝えられますが、一方で、「対人関係の中で自分をしっかりと表わしていきなさい」というようなことを伝えた場合に、果たして責任が持てるかと問われると、正直苦しみます。大学のゼミ、グループ、授業単位などは、ある意味社会の縮図です。学生たちは近い将来、そうした社会に出ていくのだと考えると、そこで、「一人頑張ったのならアピールしなさい」ということを伝えるのは、なかなか難しいと思います。