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  • 国際紛争、大規模災害、少子高齢化など、厳しい状況の中で新しい道を拓くための人材育成・社会貢献に資する大学への期待は大きい。真摯に改革に取り組む大学トップの声を紹介する。

甲南大学 中井伊都子学長 インタビュー[前編]

いつの時代でも生き抜く力をつける「人物教育」

「ほめないで下さい」というのは、よく理解できます。私はゼミで国際模擬裁判というものを行なっております。これは、現在であれば、例えばウクライナ対ロシアの紛争や、北方領土問題における日本対ロシアの対立などを取り上げ、学生には各国の代表になってもらい、お互いに調べてきて、まずコンプロミー(裁判所への付託合意書のこと)を出し、その翌週にディベートをする演習型の授業です。

しかし、例えば5人のチームで課題に取り組ませると、やはり個々の取り組みに濃淡があらわれます。発表自体はじゃんけんか何かで決まった代表者が行ないますが、言葉遣いや発表の完成度から分かるのです。「おそらくこれはこの学生が書いたものではない、リーダーは別の学生だ」と。

質問への回答ぶり等から、リーダーが誰なのか、私には明白です。しかしそこで「リーダー頑張ったね」と言うと、「いえ、みんなでやりました」と返ってきます。絶対に一人秀でないように。

昔であれば、チームのうち必ず1人か2人は、「私が頑張って、あの子たちは何もしてないのに、全員が同じ点数になるというのはどういうことですか」、「私のやったことなんだから、私をきちっと見てください」と言ってくる学生がいたものですが、今は誰もが、「みんなでやったことですから」と言います。一人が秀でることで、SNS等で批判されるといった怖さがあるのかもしれません。

そうですね。しかしながら、高等教育において「人物教育」を実現することは非常に難しく、私たちも日々、頭を悩ませております。

私たちは、「専門教育と共通教育と正課外教育、この3つのバランスをしっかりと取り、過不足なく学びなさい、これこそが『人物教育』です」と指導をしています。したがって、「内面を磨きなさい」とは自信を持って伝えられますが、一方で、「対人関係の中で自分をしっかりと表わしていきなさい」というようなことを伝えた場合に、果たして責任が持てるかと問われると、正直苦しみます。大学のゼミ、グループ、授業単位などは、ある意味社会の縮図です。学生たちは近い将来、そうした社会に出ていくのだと考えると、そこで、「一人頑張ったのならアピールしなさい」ということを伝えるのは、なかなか難しいと思います。

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