関西医科大学 木梨 達雄学長インタビュー[後編]
こうした学生時代の読書体験を通じて、私は「コミュニケーションとは基本的に文体だな」と思うようになりました。自分がどのような語りかけをするのか、どのような言葉を使い、相手に自分の考えを伝えるのか、このスキルをどんどん磨くべきだと思ったのです。
どの基礎研究に進んでも、多くの研究者と討論をすることになります。その時に、得てして日本人は、相手を否定するような議論をしたり、「私の言い分が正しい、あなたは間違っている」と糾弾するようなスタイルをとることが多いです。しかし、正しいことを述べていても、そこに相手の意見を汲む姿勢がないと、なかなか自分の考えを理解してはもらえません。共感を得るなど、なおさら不可能です。その意味で、「どのような言葉を使って相手に自分の考えを伝えるのか」、手練手管のように聞こえるかもしれませんが、これが私が読書体験を通して得た、ひとつの気づきでした。
また、そうしたコミュニケーションだけでなく、対話を通じてある現象をさまざまな角度から見ていき、真実にたどり着く姿勢も、研究の考え方に結びつきます。文学作品のように、ある局面では「これこそ真実、100%間違いない」と思っていたことでも、「舞台」がガラリと変わると、それはまだ浅はかな理解であり、別のより深い理解にたどりつくことが、研究でもあるからです。討論を通じて多角的な視点を持つことは、新たな世界を認識する素地をつくると思います。
まるで自分が全否定されたとか、新しい考え方を全部否定するとか、頑なな思考に陥ってしまう要因のひとつは、多角的な視点を持つ姿勢がないからかもしれません。そういった意味でも学生たちには、自身の世界を拓くべく、多角的な視点を持ってほしいです。
--難しい本かもしれませんが、どちらもぜひ読んでもらいたいですね。
本当は何でもいいんですよ。私はこの歳になって、このように振り返っていますが、当時は純粋に、「これはすごい文章だな」と感動していました。そうした読書体験を得ると、さまざまな文学に自然と触れるようになるものです。
最近はあまり長編を読む時間がとれず、読むのは短編小説になってきました。近頃は井上靖の『楼蘭』などを枕元に置いています。これは、シルクロードに在る小国が、漢の大国と匈奴に挟まれる中、どのようにして生き残っていくのかを描いた作品です。そこには小国なりの生き方が必ずあらわれてきます。しかし大局を見失うと、その国はやがて砂の中へと消えていくのです。そうしたいわゆる栄枯盛衰が、小説の中で淡々と描かれています。こうした本を読んでいると、「やっぱり井上靖の文章は良いな」と感じる一方で、ふと、「日本も消えていくのか、あるいは大国に復活していくのか…」と思ったりもします。
小国が合体して一つの大きな国になっていくがごとき、何らかのメッセージや志を持った人が変革を起こすようなダイナミズムは、欧米等では見られども、日本ではほとんど見られません。日本ではトップダウン型で、「皆さん一緒にこうしましょう」というやり方のほうが圧倒的に多いです。
また、アメリカでは、「これをやったら君はヒーローになれるよ!」というのが最高の謳い文句ですが、日本の場合は違います。「もう皆やっているのに、そのままだと遅れるよ、君」というのが日本なのです。両国の間にはこれほどに大きな文化の違いがあります。そのため、変革を起こす以前に、まずこの点をなんとか変えていかないと、我が国も砂中に消える小国のごとく、衰退の一途をたどるのでしょう。
しかし一方で、日本人もヒーローへの憧れは持っているはずです。「自分だってヒーローになれる」とイメージが膨らみ心が躍る、そういった空想に浸ることができるような作品をどんどん読んでいくと良いと思います。漫画でも結構です。勉強だけしているのではなく、少し心にゆとりを持って、本を読んでみてください。そして、その読書体験を通して、あるいは学びの中で、何かがきっかけとなり、志を持って社会に出て変革を起こせるような人になってくれると嬉しいです。