フェリス女学院大学 小檜山 ルイ学長インタビュー[前編]
「今ここ」だけに留まらない、広くさまざまな学びをすることの重要性
--大手企業でも週休3日が増えてきて、副業も当たり前になってきました。日本では、社会の中で複数の所属を持っている人は、今までキャリアが一貫していないといった目で見られることもありましたが、上述のような取り組みは、ひとつの新しい生き方のモデル、憧れの対象を大学として示すということにもなりますね。
小檜山:そうですね。本学はこのような複数の重層的な学びを提供しますので、学生には、単線ではない、自分なりの人生を組み立ててほしいと思っています。
女性が経済的に自立することは、とても大事なことであり、本学の学びでもそれを強調していますが、一方で、豊かな人生を送るということも極めて重要です。豊かな人生に何が必要かは、人それぞれですが、「音楽」はそのひとつになりえます。フェリスには「宗教」もありますが、それは自由にアクセスすればよい。音楽にしろ宗教にしろ、何か今ここだけの問題ではない重要なことが世界にはあるのだと、大学の学びのなかで示していくことを目標にしています。
--キリスト教の学びの位置づけはどのあたりにあるのでしょうか。
小檜山:キリスト教は、私にとってはやはり、人生において、「今ここ」にない何かを示す上で重要なものです。「今ここ」だけを見るのではなくて、知り得ない世界があり、合理性の中だけでは判断できないものがあるということ、そのことを教えてくれるものとして大事だったわけです。一般的にはとても信じられないような話が聖書にはいろいろ書いてありますけれども、それはやはり、合理性だけで判断できない何物かがあるんだろうという意味で、大切にしてきたんですね。
そして、キリスト教の神というのは肉眼では見えないものです。神の名をみだりに唱えて権力をまとう人もいますけれども、反権力の側が神の名をまとって権力を批判することもできるという構造がある。そこが良いところだと思っています。「あなたの神様はそうかもしれないけど、私の神様はこうなんだよ」ということができるわけですよね。それは、宗教の内部から自らを刷新していく構造です。
--「今・ここ」にしか関心がなければ、イスラエルやウクライナの問題にも目を向けることはできませんね。ビジネスの世界に進むにしても、これからの人生の選択において、どのような問題が自分に影響があるかということを知るためにも、大学生の時にさまざまなことを広く学んでおいたほうがよいですね。
小檜山:そうだと思います。それから、どんな学びでも若い頃にやっておくと、年を取ってから学ぶのがより楽になるということもありますよね。若い頃はできるだけ幅広く学んでおいたほうがいいと思います。語学などはその典型です。
私は、英語が堪能になりたくて大学時代には相当努力していましたが、フランス語も、あまり熱心に学ばなかったけれども、ちょっとだけやっていました。ですから、今かりに第二外国語をやろうとした場合、フランス語とドイツ語のどちらがいいかというと、フランス語の方が圧倒的にとっつきやすい。「昔取った杵柄」と言いますが、ちょっとでも学んだことは脳が覚えているのです。だから時間が経っても入りやすくなる。どういう学問分野、あるいは習い事の分野でもそういうことはあります。だから、若い頃はできるだけ広い分野に触れておいたほうがいいと思うのです。
--「人生100年時代」というキーフレーズが人口に膾炙して、リタイア後の人生も一つの人生だという意識が多くの人に広まり、また、一つの会社に就職したら定年までずっと勤め上げるという意識も変わってきました。いったん社会に出た人が長くなった人生をどういうふうに生きていくべきかを考えるとき、大学での学びが重要になってくるということでもありますね。
小檜山:そう思いますね。例えば、若いころに習得した技能でも、必ず古びていきます。この技能だけ持っていれば一生安泰なんていうことはありません。以前に習得した技能をもう一度習いなおさなくてはいけない、別の収入源を見つけていかなくてはいけないとかいったことが人生の中には何度も起こってくるでしょう。したがって、大学時代に狭い専門に閉じこもって、それしか知らないというのでは良くないと思います。間口を広げ、複数の窓を持っていること、そういうことがこれから生きていく上で必要ではないでしょうか。
--私は10年ほど医学部の受験生の指導に関わっていた経験があります。大学に1回入った人や社会人を対象にしていましたが、いろいろ経験してきて自分で選んだ進路ということで、彼らは本気で学んでいるように見えました。20歳前後で進路を早期に決めるよりは、ある程度幅があるところで学んでもらって、その中で自発的な気づきによって進路を少しずつ選んでいくというほうが自然に思えることがあります。
小檜山:そうですよね。アメリカでは高卒後にすぐ医学部に行くのではなく、4年間リベラルアーツを学びます。専門教育は、大学卒業後のメディカルスクール(大学院)からです。日本での教育期間は短かすぎるように思えます。学士課程の4年間は自由学芸で様々なものを学び、領域を広げて、大学院の段階から専門教育に移っていくというようにすべきでしょう。医学などの専門性の高い分野についてはなおさらそうだと思います。
法学もそうです。だって、社会や人を知らなければ、いったいどうやって医者をやるのか、弁護士や裁判官をやるのかと思いますよね。ヒヨコの頃からその分野しか見ていない人だったら、有能な医者や有能な法律家にはなれないのではないでしょうか。特定の病気は診ることができても、人を看ることはできないのではないでしょうか。幅広い基礎を作るという意味でリベラルアーツの学びの重要性を評価してほしいなと思います。
--アメリカ型のリベラルアーツカレッジの典型ですよね。
小檜山:私はフェリス中高のあとICUで、それからアメリカに留学していますので、アメリカ型の教育を受けてきました。だから、自分の経験からそう思うのかもしれないけれども、あまりにも早く専門性を狭めてしまうと、人間関係も狭くなってしまいがちです。これではよろしくないなと思っています。
--同じくICUにおられた森本あんり先生(現・東京女子大学学長)が最近出された一般向けの新書(『教養を深める』PHP新書)でも、高校の時点で進路を決めさせるというのは良くない、大学はそこでの気づきというのがあるのだから、最初から専門を決めないほうがいいというふうに書いていらっしゃいました。
小檜山:森本あんり先生とは若い頃から旧知ですし、先生も私と同じICUの出身ですので、よくわかります。森本先生はICUから東京女子大学の学長になりましたけれど、私は東女でずっと教えていましたので、非常によくわかるのです。同じリベラルアーツの大学で過ごしてきた私たちからすると、「大学4年間で専門教育って何?」という感じです。「22歳で専門家になれるのか?」と思いますね。