「公営塾」研究プロジェクト
Q:日本ではクラスの約7人に1人の生徒が相対的貧困層だというデータもありますが、そのような経済格差が教育格差につながることを防ぐためという目的もあるのでしょうか?
無料や格安で行われている学習支援の取り組みは、自治体やNPOなどを主体にして、全国で進んでいます。2015年に成立した「生活困窮者自立支援法」のもとに行なわれる学習支援も全国の自治体で行われています。また、ひとり親家庭に対する学習支援や「地域未来塾」などもあります。地域未来塾とは、「学習が遅れがちな中学生・高校生等を対象に、退職教員や大学生等の地域住民等の協力により実施する原則無料の学習支援」を目的とする塾で、文部科学省が予算をつけて先導役を担っています。
国による取り組みは、公営塾と運営形態や趣旨が似ているところがありますが、本調査では、公営塾とは区別しました。しかし、自治体によっては、「公営塾」と認識されている場合もあります。
今回実施した全国調査では、「公営塾」あるいはそれに類する取り組みが、生活困窮者自立支援制度に基づいた取り組みであるという記述も散見されました。「公営塾」を、経済格差による教育格差の予防として設置している場合もあるかもしれません。
次の全国調査では、もっと細かな分類ができるようにしたいと思っています。
Q:公営塾の設置の動機には、さまざまなものがあるにせよ、地域の教育の課題に対する対応策だとは思います。では、どうして、国も自治体も、直接、小中高の公教育自体への予算を増やしたり、テコ入れをしたりしないのでしょうか?
よく言われるのが、教育の新自由主義化とか、グローバル化に対応するものだ、というような批判的な見方です。たとえば、公的セクターは教育への介入を縮小し、民間への移管を進めている、というような見方ですね。
しかし、そういった政策の流れはあるにせよ、公営塾の設置や、先に述べた取り組みの広がりは、新自由主義などのイデオロギーでは説明がつかない現象なのです。
私どもは、比較教育学の立場から、海外の教育制度を研究していますが、通時的現象として、近年、とくに2008年のリーマン・ショック以降、世界的に「学校」の役割が変わってきたように思えるんですね。
新自由主義的に国や自治体による教育が民間に移されるだけでなく、公的なサービスに民間が入ってきたり、民間がやっている事業に公共セクターが入ってきたりと、教育における「公」と「私」の区別があいまいになりつつあります。
世界的に見てもそうです。ご存じのように、中国では、私塾が禁止され、国が教育への関与を強めています。韓国では、過度な受験をやめようと、大統領自らが指示を出しています。一方、私たちが在外研究で滞在しているスウェーデンでは、ベビーシッター会社が学校に人材派遣をし、学校の中で宿題を支援するサービスを始めています。アフリカのリベリアでは、全国50校の運営を完全にアメリカの一企業にアウトソースしています。
こういった動きは、新自由主義という名前とともに連想される教育の市場化だけでは説明しきれません。中国のような例もあるし、私立の学校や大学が経営難により公営化されるという例もたくさんある。学校の境界線そのものが揺らいでいるんですね。