東京女子大学 森本 あんり学長インタビュー[前編]
「教養を深める」――東京女子大学のリベラルアーツが目指すもの【独自記事】
1918年の創設当時から「女子のための人格教育」を一貫して行なっている東京女子大学。その第17代学長に就任したのが、森本あんり教授である。アカデミア内にとどまらず、論壇や世間一般に至るまで、広く教養教育の意義を発信してきた森本学長に、大学における教養教育とは何たるか、これからの大学教育の在り方、そして東京女子大学の学生に宿る“Something”について話を聞いた。
【目次】
■「当校にリベラルコレッジの性質をもたしむること」 創設時から一貫して続く東京女子大学の人格教育
■ マインドと汎用的能力を養うリベラルアーツ教育
■ 人格教育の鍵は“人的かかわり”と“Campus”
■ 汎用的能力養成の影に卒論あり
■ 大学独自のベストカリキュラムで学生に最高の学びを
■ 東京女子大学における Something ①
後編へ
■「当校にリベラルコレッジの性質をもたしむること」 創設時から一貫して続く東京女子大学の人格教育
--貴学は1918年に、初代学長に新渡戸稲造、初代学監に安井てつを迎えて開学されました。「女子のための人格教育を行なう」という建学時の精神には、現代にも通ずる意義さえ感じられますが、森本先生はこの創設者たちの理念をどのように捉えておられますか。
おっしゃる通り、本学は今から100年以上前の1918年に、新渡戸稲造と安井てつの「独立した知性と人格を有する女性を育成したい」という願いのもと創設されました。当時の女子大は「婦女子のための教育」を謳いながら、その実態は「男子のための女子」を育成するための学校であることがほとんどでした。花嫁修業など、まさにその象徴です。
花嫁修業、あるいは実学志向の教育とは一線を画す女子大を創りたい。男性に依存するのではなく、一人の人間として、自立して物事を判断でき、責任をとれるような女性を育成したい。「男子のための女子」の育成が行なわれていた時代の最中にありながらも、本学には当初から、このような目標が明確にありました。
新渡戸の言葉に次のようなものがあります。「女子が偉くなると国が滅ぶ、などと言うのは意気地のない男だ」と。男子が強くあらねばならないのは当然だが、女子も同様に独立した強さを持っていなければ、日本はこの先やっていけなくなる、と指摘しているのです。
新渡戸はこれを織物に喩えて説明しています。縦糸と横糸、どちらの糸も強くなければ、その織物は布として強くありません。縦にはめっぽう強いけれども、横にはすぐに破けてしまうようでは困ってしまいますよね。現代にも通ずるこの発言を、彼は今から100年以上も前にしていたのです。
また、本学は創設当初からリベラルアーツ教育を行なっていますが、1918年当時の日本語の中に、「リベラルアーツ」という言葉は当然存在しません。では、安井てつは本学の教育理念をどのように表現したと思いますか?
彼女は、「当校にリベラルコレッジの性質をもたしむること」と述べています。「リベラルコレッジ」とは、アメリカの伝統的なリベラルアーツカレッジを指す言葉で、19世紀には女子大学も始まっていました。つまり、彼女は大学の目指すべき方向を、「リベラルコレッジ」という言葉を用いることで、初めから明確に打ち出していたのです。
--アメリカのプロテスタント諸教派の援助のもと設立されたとはいえ、貴学には創設当時から、キリスト教の布教を越えた独自のミッションが強くあったのですね。貴学が現代教養学部1学部体制である所以も、ドイツ型の研究総合大学ではなく、やはりアメリカの、いわゆるリベラルアーツカレッジと言われる小規模大学を参考としているためでしょうか。
はい、そのとおりです。アメリカのいわゆるリベラルアーツカレッジの特徴として、規模が小さいことと、学科間の垣根が低いことが挙げられます。したがって、それに倣う本学も1学部体制をとっているのです(以前は、文理学部・現代文化学部の2学部体制であったが、2009年にそれらを統合・再編し、現在の現代教養学部1学部体制となった)。
1学部しかないということは、つまり、1学部の中に多様な専門分野が含まれていることを意味します。ここで重要となるのが、そこに必ず理系の学問も含まれていることです。日本でリベラルアーツというと、特に文系寄りの学問を指すことが多いですが、本来のリベラルアーツはそうではありません。必ず文系・理系両方の学問を含むものです。
加えて、専門分野の異なる人同士が近い距離にいることも重要です。学部ごとに棟が分かれていたり、キャンパスが離れていたりするのは良くありません。物理の先生と経済の先生と音楽の先生が、廊下ですぐに会えるくらいの距離にいる必要があります。この点に鑑みると、最近になって日本でも多くの大学で「リベラルアーツ」と言われるようになりましたが、大規模大学でリベラルアーツ教育を行なうことは難しいと思いますね。
--物理的にもお互いに近いところにいることが重要なのですね。
そのとおりです。
もう一つ大事なのは、専門教育と一般教養の授業の両方を、同じ先生が担当することです。日本の多くの大学では、大御所の先生は専門教育のみを担当し、一般教養の授業は非常勤の先生に任せてしまっていますが、これこそ日本のリベラルアーツ教育の最も良くないところだと私は思います。
学内の専門家が専門教育を担当するのはもちろん、1年生の1学期の最初の授業も教える。そうした一般教養の教育がとても大切です。その分野を究めた先生が一般教養を教えるからこそ、学生たちは、「この学問面白いんじゃないか」と目を覚まし、興味を持ち、勉強してみようという気になります。そこでリベラルアーツ本来の価値が形成されていくのです。だってそうでしょう?「一般教養の先生」なんていないのですから。
--確かに、受験対策としての教科指導でも、個々の具体的な内容については、ある程度勉強してきた人なら誰しもそれなりに対応できますが、学問の導入となると、やはり専門的に深く研究をしてきた人でないと、俯瞰的に教えるのは難しいですよね。
その分野全体を見渡して、今のこの時代に、目の前の学生たちに一番面白いものは何かを考えて、自分の引き出しからそれを持ってくる。ここが教養教育を行なう側にとっての腕の見せ所であり、面白いところでもありますね。