河合塾講師が語る!2025年度新課程入試 ―世界史編―[後編]

■ コラム②:なぜ歴史は古い時代から順に学ぶのか

「井上さん、どうして歴史は古い時代から勉強するの?現代から学び始めて、今の世界がどのように形成されてきたのか、歴史を遡る形で勉強することはできないのかな?」

これは実際に私が、哲学者の故鶴見俊輔先生に言われた言葉です。彼が本心でこれを問うてきたのか、純粋に私と議論をしたかったのか、それは分かりません。けれども、歴史の勉強を「今につながる世界を学ぶ」という観点から考えたとき、この問いはまったく的外れなことを言っているわけではないと思います。当時の私も「そういう発想もあるのか」と、新鮮に受け止めていました。

しかしながら、この問いに対する私の答えは「NO」です。なぜなら、その学び方をしてしまうと、今につながっていないもの、すなわち、歴史の過程の中で消えてしまったものは学べないからです。

「消えてしまったものは今につながっていないのだから不要だろう」という意見があるかもしれません。けれども、「どうして今につながらなかったのか」を学ぶ必要はあると思います。もちろん、教科書的には分量の関係で省略せざるを得ない部分もあるでしょう。しかしながら、もともと多様性に溢れていた世界が次第に一体化していく過程で、何が消え、何が残ったのかは、相対的に学ぶべきだと思います。これが、「歴史は古い時代から順に勉強すべきだ」と私が考える理由です。

一方で、世界に目を向けてみると、我が国における『世界史』のような科目を置いている国は意外と少なく、置いていたとしても近現代史がその中心をなしています。理由は言うまでもなく、現代の世界に「直接」結びつくからです。まさしく『歴史総合』の範囲だけを勉強させている状態ですね。

残念ながら、重要ではないでしょうね。そのため、仮に今後「ゆとり」を推進していくのであれば、『探究』をなくそうとする動きが出てくる可能性は否定しきれません。それに、「探究」のコンセプトは良いものですが、『歴史総合』もある意味「探究」ですからね。加えて、現行課程が詰め込み過ぎだということは、すでに指摘されています。そのことが原因で、高校現場が悲鳴を上げているのも、また事実です。

『歴史総合』2単位、『世界史探究』3単位という設計自体、かなりハードですからね。授業で全範囲をやり切ろうとすると、息つく暇なく全速力で駆け抜けるしかありません。そうした中で万が一、以前の「必履修科目未履修問題」のような状況が出てきた場合に、「何を省くのか」の議論が行われることになるのでしょう。

事実、新課程において単位数が減るにあたり(『世界史B』4単位→『世界史探究』3単位)、内容の取捨選択が行われました。その中で「今につながっていないから」という理由で、割愛された内容は複数あります。例えば、「航海法」や「審査法」といった、途中で廃止された法律は、だいぶ教科書で見られなくなりました。この点に鑑みても、「今につながるものこそ重要」という意識の社会的な強まりを感じます。

そして、それは入試問題においても同様です。現在世の中で起こっていることにインスピレーションを得た問題がよく出題されるのは、「今につながる歴史」という観点の強さの表れでしょう。それに、その方が生徒たちにとって確実にキャッチーだからですね。

生徒に指導する際もそうです。「どうして歴史を学ばないといけないの?こんな古い時代の話要らないよ」と思う生徒がいたとしても、「でも、これは今につながる歴史だよ」と伝えると、それなりに納得して勉強してくれます。

若者たちの考え方に迎合するのか、それとも学ぶ意義をきちんと説明したうえで古い時代から学ばせるのか、ちょうど今、岐路に立たされているような気がしています。


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