編集工学研究所・安藤昭子氏インタビュー
●松岡正剛との出会い
Q:その後も、同様のプロジェクトに関わられたのでしょうか。
安藤:実は、この企画から時を置かず、会社の方針で編集部の閉鎖が決まり、転職をすることになりました。再就職先は、語学関連の出版で知られるアルクの書籍編集部でした。アルクは、業界の中でも早くからオンラインサービスを充実させていて、すでにシステム部を立ち上げていました。それが面白くて、編集部の仕事がひと段落すると夜はシステム部に入り浸ってプログラミングに没頭して…という生活を続けていました。書籍の構成を考えて編集することとプログラムを設計して実装することは、自分にとっては「同じこと」をしているように感じていたのです。会社からどちらかを選ぶようにと言われた時は、本当に悩みました。この「同じこと」が何にあたるのか、当時の自分の力ではどうにも上手く説明できずにいました。
そんなある日、図書館で何気なく書棚を眺めていると松岡正剛の『花鳥風月の科学』という本が目にとまりました。情緒的なことと科学的なことのかけ合わせを表しているようなタイトルに、「自分が探しているものがここにあるかもしれない」という直観が働き、手に取ってみました。序文の中に「これからの科学は『情報』をとりあつかうべきであり、それには情報の概念を大幅に広げなくてはならない」という一文がありました。「自分が扱っているのはどれも『情報』なのだ」ということにはっとしました。そのまま借りて帰り、夢中になって読み進めていたら、いつのまにか明け方になっていました。その後、「松岡正剛」という著者名をたどって調べる中で、イシス編集学校の存在を知り、門を叩いたというわけです。それが2004年のことですね。
Q:それから編集工学研究所で働くまでには、どのような経緯があったのでしょう。
安藤:イシス編集学校には、「守」「破」「離」というコースがあるのですが、アルクで仕事をしながら「守」「破」とコースを進み、「花伝所」というコーチ養成講座を経て「師範代」と呼ばれる編集コーチを体験しました。途中で出産や仕事の独立をはさんだこともあり、途中ブランクを開けながらですが「離」までたどりつきました。「離」は「松岡正剛直伝」とされている最奥のコースなのですが、ここで「編集工学」の面白さに本格的に出会った形です。2010年、「離」を修了したタイミングで、松岡から「編集工学研究所を手伝わないか」と声をかけてもらい、身辺の仕事を整理して入所し、現在に至ります。
Q:松岡正剛さんの教えで、特に強く印象に残っていることは何でしょうか。
安藤:「離」は、4ヶ月間のコースなのですが、そこで学んだことが今の自分の思考やものの見方のほとんどをつくってくれたと思っています。自分が違和感を感じていた世界を、一歩遠いところから客観的に見る眼鏡や望遠鏡や時に顕微鏡を手にしたような感覚とでもいいましょうか。「離」では、松岡がそれまで考えてきたことが、わずか数ヶ月の中に凝縮され、受講者に伝えられるわけです。受講者の側にも大変な集中力が要求される苛烈な学習環境ですが、「離」を経たことで世界をそれまでとはまったく違うやり方で見ることができるようになりました。このメガネを通すと、世の中の「窮屈そうなこと」や「停滞していそうなこと」が見えるようになってくるんですね。編集工学研究所で仕事を始めてからは、さまざまに出会っていく企業や学校等の現状のどこに切れ目を入れて、どうやってほぐしていくと、潜在的な苦しさから解消されるのか。こんなことに関心を向けていくようになりました。