「育児かキャリアか」の2択ではない 「どちらも頑張る」も可能なのがあるべき姿
育児かキャリアか、この二択しかないのはおかしい
◆:キャリアは、人とのめぐりあわせがよかったんですね。すこし、個人的なこともお聞きしていいですか?出産のこととか、苦労話はありますか?
石田:出産は、2011年と2013年、どちらも男の子でした。2011年のときは、まだ助教でしたので、授業負担が軽くて、育児休暇を取りませんでした。助教というのは、もともと研究者を養成するという趣旨の制度なので、年間で1コマか2コマ持てばいいといったような状況だったんです。ロールクールでの「法曹倫理」の授業や、「ジェンダーと法」の授業は当時から担当していたと思います。でも、授業負担は軽く、息子の出産時期も7月でしたので、「すみません、期末試験の採点だけ勘弁してください」と言って、周りの先生方の理解に支えられてなんとかなりました。
私は2回の出産とも、育児休暇はとっていないんです。私の場合、環境に恵まれていたこともありますが、研究者だと、なんとかこういうことも可能なんですね。毎日職場に来なければいけない職種ではないし、授業の間だけ責任をもって子どもを見てくれる誰かがいればいい。あとは子どもの寝ている間の頑張りというか。もちろん、お子さんにもよると思います。
でも当時は、「母親は育休を取れ」という社会的なプレッシャーを感じました。別に職場で特に何かをいわれたことは一度もないのですが、社会的に。一般的には組織としても、スタッフには育休を取得させて、きちんとワーク・ライフ・バランスを確保させている、としなければなりませんので、こういうプレッシャーも仕方ない側面はあります。
でもなぜ、私だけ、母親だけこう言われなければならないのか、という理不尽さを感じていました。今でこそ、男性の育休も強く奨励されていますけれども。子育て期と重なる30代の時期は、研究者としてのキャリアにとっても大切な時期です。学位(博士号)をとって、一段落して、さあ、ここから研究者としてどうやっていこうか、という大事な時期に、一旦キャリアをストップするというのは、少なくとも私の場合は、大きなためらいがありました。そこで、パートナーとも話し合って、生後早い段階で、ベビーシッターさんにお世話になることにしたんです。もちろん、親にも頼みましたが、シッターさんには特にお世話になり、その方には、今でも時々お世話になっています。
面白い話があります。私が2人の子どもを育てていると聞き及んだ、ダイバーシティ推進室のスタッフから、ワーク・ライフ・バランスについての記事を書いてほしいと依頼されたんです。おそらく、育休時間をどのように使ったとか、そんな話が出てくると思っていたと思うのですが、私の記事の書き出しは「出産しても止まらない」(笑)。じつは育休すら取っていなかったというので、想定外だったかもしれません。でも、その記事はそのまま掲載していただいて、今でもWebで見られると思います。
リンク:「私のワークライフバランス」を希求して 法学学術院・石田京子准教授 – 早稲田大学 ダイバーシティ推進室 (waseda.jp)
その後この記事を読んだ若い学部生の女性からメールをいただいて、すごく勇気づけられた、と言われました。その女子学生は「女性は出産したら育休を取らないといけないんだと思いこんでいた、でも、そうでなくてもいい、それを示してくれてすごく勇気が出た」と。こう言ってもらえたのは、私にとっても嬉しく、支えになりましたね。
◆:大事なのは個人が制度を自由につかえることであり、全員に育休を取るか、取らないかのどちらかを押し付けることではないと。
石田:そうなんです。みんなが働きやすくなるというのは、本当はそういうことだと思うんですよね。
今は、男性も育休を取ることが奨励されていますよね。けれど、男性の育休の平均取得日数をご存じですか? 1.5ケ月くらいなんです。一方、女性は大体1年です。「男女共に絶対に全員が育休を取れ」というのは、夫婦別氏の議論でも同じですが、形式的に平等に同じに見えても、実質は全然ちがっていて、女性の方が負担が大きいという現実は、今でもあると思うんです。
◆:仕事か育児かの二択を迫られる状況で、仕事をしながらの育児を選んだということですね。
石田:もちろん、周囲の理解があったことも大きいです。早稲田大学は、その点で恵まれていて、未就学児を持つ教員は、授業負担を考慮してもらえるというルールがあり、これを利用させてもらって、かつ、リサーチアシスタントを雇うことも認められていました。私の場合は、細かい文献チェックをしてくれるようなアシスタントを1人雇うことができ、育児期間中に、留学中から出版したいと考えていた翻訳本を1冊出版することができました。
◆:パートナーも育休を取られなかった?
石田:そうですね。夫は、国家公務員で、とくに30代は忙しくて、まあ、帰って来られなかったですね。シニアになって、最近は比較的早く帰ってくることもできるようになりましたが、当時はほとんど家にいませんでした。
◆:ちょうど大変な時に、子育てをされていたんですね。
石田:そうですね、まさに育児と仕事でしたね。しかし、やはり私の場合、ベビーシッターさんも含めて周囲に助けられたというのは大きかったです。この子らも、今では小4と小6ですので、だいぶ手がかからなくなりました。