名古屋外国語大学 亀山郁夫学長インタビュー[後編]
「多芸は無芸」ではない~5芸で支える100年人生の生き方
名古屋外大・亀山学長へのインタビュー。前編では外国語教育の意義、英語化とグローバリズムと日本の将来について自由闊達なトークをしていただきました。後編では、人生100年時代と言われる昨今、私たち一人ひとりはどう生きればよいのか、母語による学びはなぜ大切なのか、そして大学教育はどうあるべきかについて、大いに語っていただきます。[前編]はこちら
■「場」の創出こそ大学の役割
Q:コロナ禍の外出自粛によって、図らずもオンライン・コミュニケーションが半ば強制的に普及し、オンライン授業や、オンライン会議が当たり前に行なわれる状況になりました。そんななか、対面で行なう授業の価値はどこにありますか
亀山:いま、YouTubeだけで授業が出来ちゃうし、学校だって作れちゃうんですよね。とくに、リスキリングだけを目的にするのであれば、コンテンツの精査、選別は必要ですが、オンラインだけで完結できてしまいます。ほしい情報は、ほとんどネット上に存在します。
“Society5.0”というスローガンを掲げ、官民挙げてサイバーとリアル(対面)の高度な融合社会を目指しています。もちろん、そこで問われるのは、どのようにオンラインを使いこなしていくか、ということですが、もっと根本的に重要なのは、そもそも人が集まるということの意味を問うことです。対面で人が集うことの存在論的意味です。
私は、対面で授業を行なうことの意味は、「場」の創出だと思います。コミュニティと言い換えてもいいですが、いい人と直接つながれるということ、ここに意味があります。リアルな「場」に人が集まらないと、知識の伝達以上のことが起こらない。リアルなキャンパスで大学が行なうのは、このようなリアルな知的コミュニティの提供ということになるでしょう。
■「多芸は無芸」ではない
Q:長寿化それ自体は良いことかもしれませんが、引きこもりや独居老人、とくに都市部では孤独死が増えているともいいます。「場」の創出は、孤独に対するセイフティーネットにもなりそうですね。
亀山:確かにそうですが、それだけではないですね。100年生きられる、生きねばならないとしたら、個人としても強くならなければならない。知的に成熟する必要があります。
私は、“Jack of 5 trades”を提唱しています。もちろん、私の独創したフレーズです。
英語で、“Jack of all trades” もしくは、“Jack of all trades is master of none.”ということわざがあります。“Jack”は日本語の「太郎」みたいなありふれた名前で、“all trades”すべての商いをする太郎さんなので、「何でも屋」「よろず屋」ということです。転じて「器用貧乏」、日本語で全体を訳すと、「多芸は無芸」(多芸であると卓越した芸を持ち難く結局は無芸と同じだ)ということになります。
しかし、人生100年時代の現代では、どうやら、そうでもなさそうです。さすがに “Jack of all trades”では、ただの器用貧乏ですが、“5 trades(5つの商い=領域)”ならできるし、やるべきだ。“Jack of 5 trades is master of one.”で、何者かになれます。
5つの領域は、誰にも負けない1本の専門性の軸があり、4本のやや専門性のある分野を一つずつ、つけ足していくイメージで、5芸を身につける。人よりもよく詳しい強みを5つ作ろうと。これが個人を強くし、人生を豊かにし、ひいては世界を広げることにつながる。20代から始めて、10年ずつ1芸を身につけていけば、古希(70歳)までに5芸が身についているはずです。
アイデンティティ(identity) という言葉がある。アイデンティティ崩壊の危機、なんていわれたりしますが、1つのidentityつまりI-dentityだから弱いんです。複数のI-dentityつまりwe-dentityとすることによって、幅が広がり、壊れにくくなる。仲間に支えられているから。知も芸も共同作業だから、多芸を目指すことで、「場」もたくさんできていることになるでしょう。
作家の平野啓一郎さんは、「個人主義から分人(ぶんじん)主義」という言い方で、対人関係ごと、環境ごとに異なる人格を持つことを提唱しています。アイデンティティという一つの自分を認めるのではなく、複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えろ、というのですね。この考えも魅力的ですが、私のアイディアは、個人のアイデンティティを縦・横に広げるイメージですね。教養を通じて、共同体やスモール・グループの中での個人を太く、強くしていく。つまり、I-dentityあらためwe-dentityは、他と共有する場にいる個人を表します。