
東京外国語大学 春名学長インタビュー
--ただ、留学生が多いということは、異なる宗教的背景や政治的な思想・信条を持つ学生が集まってくるということだと思います。例えば、ロシアとウクライナ、それからガザに関する話題を授業で取り上げることで起きる問題などありますか? あるいは、取り上げることを躊躇することもあるのでしょうか。
春名:私自身の授業ではあまり経験したことはありません。私はむしろ今の話題をどんどん入れて、あえて議論の場にさらしていきたいと思っています。そうすると、意見が分かれるし、そこに意味があると思うんですね。
先生が一方的に講義するだけの授業だったら、こうしたことも起きない。意見の違いが見えるというのは、まさにリアルな体験です。だから、私は積極的にそういうものを取り入れていきたい。タブーはありませんし、時には私自身の考えも口にします。そんな時は「これは私自身の考えでしかないので、あなたたちは違う考えを持つかもしれないし、それはそうと言ってほしい」と言っています。
--インターネット上で行われる議論を見ていると、「自分の意見と合う人としか話せない」という空気を感じます。価値観の違う人とコミュニケーションできないとなると、コミュニケーションをやめてしまうか、けんかするか、どちらかになってしまいます。こうした現状の中、授業を進める中で、「学生同士のコミュニケーション能力が鍛えられている」と実感されることはありますか?
春名:教室で行われる議論の中で積極的に話をする学生たちは、鍛えられていきますね。自分の意見を、何とか伝えようとするんです。何度でも言い直したり、ちょっと掘り下げてみたり。私自身の授業では政治を扱うので、日本を対象にしているとはいえ、教室が「割れ」ます。特に防衛政策など、そうですね。けれど、それを理解した上で、「自分はなぜそう考えるのか」と議論を進めていくので、異なる意見が出る中で着地点を見出そうと努力する姿を見ることができます。
ただし、先ほどもちょっと触れましたが、そこになかなか日本の学生が乗ってこられないんです。そこはすごくもどかしくて。ひとつには、高校までに受けてきた教育において、政治に関して意見を交わす経験がなく、そういった議論に慣れてないということがあると思います。あとは、英語が大きなハードルなんです。私が「日本語で話していい」と言ったところで、議論のベースは英語ですから。だから、そこになかなか入り込めない。
当大学には28の専攻語があり、それはとても重要ですが、価値観も意見も多様という状況の中で対話を維持していこうと思うのなら、やはり英語は必要です。700人の留学生は世界各地から来ていますが、どの学生も英語でなら会話ができるんです。だから、専攻語があるにせよ、英語はそれなりに高い水準になければ、どうしたってグローバルな対話の中に入り込めない。
■ 「英語あっての専攻語」という意識を高める
--教える立場にある、教員に関してはいかがでしょうか。大学内で「リンガ・フランカ(共通語)としての英語」という意識は共有されていますか?
春名:なかなか難しい問題ですね(笑)。その考え方は、十分には共有されていないと思います。「英語力強化」という言葉を口にすると、「そんなこと言ったらうちの専攻語はどうなるのか」という声が上がります。多様な言語を深く理解することがこの大学の良さでもあると私も認識していますが、学生を育て、彼らにグローバルな舞台で活躍してほしいのなら、(自分自身の考えはどうであれ)学生には英語力をつけさせるべき、という点では、全体的な了解を得たいと思っています。
--一方で、言語の多様性や、消滅危機に瀕している言語の維持という問題もあります。多様性と共通性の両立は可能でしょうか。
春名:私は多様性を維持していくためにこそ、英語を使っていくことが大切だと思っています。例えば危機言語の研究も、英語で発表しますよね。だから、多様性を守る、弱い立場にある言語なり文化なりが、自らを守るためにこそ、やっぱり英語を使うべきなんです。英語を媒体に、各言語の特徴や独自色を打ち出していくことが求められるのだと思います。
ある意味、社会の中で弱者が法を使うのと同じです。法というものは、あくまでも強者が秩序維持のためにつくるわけですが、それを逆手に取ることができる。それと論理は同じだと思っています。