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  • 国際紛争、大規模災害、少子高齢化など、厳しい状況の中で新しい道を拓くための人材育成・社会貢献に資する大学への期待は大きい。真摯に改革に取り組む大学トップの声を紹介する。
山代寛学長

沖縄大学 山代 寛学長インタビュー[前編]

地域研究の推進と、地域への知の還元 ——土曜教養講座

再び本学の歴史の話となりますが、実は沖縄大学は、1972年の沖縄県本土復帰の際に存続の危機に立たされています。米軍の統治下にあったときに施行されていた諸制度は、本土復帰の際、日本における諸制度との適合を求められました。沖縄に当時設立されていた私立大学である沖縄大学と国際大学は、ともに日本の私立大学の設置基準には適合しないと判定され、文部省(当時)の指導のもと、統合が進められることになったのです。

これを受けて、もともと36名いた本学の教員のうち半数が、沖縄大学と国際大学とが統合した沖縄国際大学に移ってしまいました。しかし、残った18名の教員たちは「沖縄大学を残さなければならない」と、困難を覚悟の上で、文部省の方針に反し自主独立の道を行く決意を固めます。

「種々の形で本土への系列化並びに再編成が強引に行われている。一切が強大な力に組み込まれている中で、せめて私立大学だけでも踏みとどまるところが無くてはならない」

これは当時、沖縄大学に残った18名の教員が、新聞紙上に出した「沖縄大学存続の趣旨」と題する広告の一部です。彼らはなぜ、過酷な道だと理解しながらも、これほどまでに沖縄大学の存続を訴えたのか。それは、創設者・嘉数の沖縄への想いに端を発する、本学創設の物語の中にある本学独自のミッションを大事にしたいと考えたからでした。

そして、その意思は県民の心にも強く響き、県民運動へとつながっていきます。学外では、沖縄大学存続を求めるデモ行進が行なわれました。ほかにも、沖縄県知事が文部省に「沖縄大学存続要請」を行なってくれたり、総評(日本労働組合総評議会)が決議文を書いてくれたりもしました。こうして、沖縄大学存続をかけた戦いは、沖縄県内のみならず、全国的な盛り上がりを見せていきます。

苦しい存続闘争の末、最終的にこの活動は実を結びます。本学の理念と願いが沖縄県民の方々の支持を得たことで、大学の存続が可能となったのです。図らずもこの存続闘争を通じて、「やはり沖縄大学は地域に支えられている大学だ」という機運が、学内でいっそう醸成されたようにも思います。

加えて、この出来事がきっかけとなり、「土曜教養講座」という、大学での学びを市民に伝えていく一般公開講座が開かれ、1976年から現在までずっと続いております。「地域に還元する」という言い方はおかしいのかもしれませんが、本当に長く続く取り組みで、社会貢献活動としても、特色のあるものと言えるのではないでしょうか。次回で606回目を迎えます(2024年8月取材時点)。

地域研究所が主催する公開講座について – 地域研究所 – 沖大について | 沖縄大学 (okinawa-u.ac.jp)

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